(2022.11.2の日記。noteより転載)
昨日、「胃が合うふたり」を読んでいた。
私が読んだ章は、
「一時期、共に楽しく時を過ごしていたけれど、いつの間にか一緒に過ごさなくなった」人のことを話していた。
そういうことは、人生のうちで幾度となく、ある。
そして、この本は、全体的に「いま、目の前にいる一緒に時を過ごしている人もいつかいなくなるかもしれない」ということを一貫して書いていると感じる。
でもそれが寂しいとかダメだというわけじゃなくて、「そうなったらなったで仕方ない」という、どっしり構えたものを感じる。
願わくばその楽しい時間が長く続くといいなあ。
この日の朝、ある写真家さんのインタビューを読んでいた。
「私から去る時は必ずさよならを言って欲しい。
そして、私があなたから去ったとしてもあなたが素晴らしい人であることには変わりない」というようなことが書かれていた。
なんだかこういう日はいろんなことがつながる。
私は絵を本格的に描いていきたいと思う前に、写真を撮っていた。
その時にモデルになってくれた方の一人は、よくSNSを更新していたし、嬉しいことにインスタのストーリーで私を「親しい友達」リストに入れてくれていたので、そばにいなくても近況をよく知っている気になっていた。
今でもゆるく繋がれている数少ない人のうちの一人だった。
ところがその人を最近SNSで見ないなと思った。
ついにリムられちゃったかブロックされちゃったかな・・・と思っていたが、その人のアカウント自体がなくなっているようだった。
写真家さんのアカウントから、そのモデルさんが写っている写真を探し、そこのタグから飛ぼうとしても、タグ付けがされていなかった。でもこの人は前タグ付けしていたはずなのでおかしいなと思った。
そしてtwitterで検索すると、「今年で『〇〇(被写体としての名前)をやめる、Twitterもファンクラブも消す、いきなりインスタ消してびっくりさせてごめん」という旨が書いてあった。
いろんなことがあったんだろう。
被写体として10年も活動されてきたそうな。
すごいことだ。
フォロワーは今や5万人以上いた。
彼女が好きな写真家さんと作ったzineを買っておいてよかったと思った。
やはり推しは推せるうちに推さねば。
いつまでもいてくれるわけじゃない。
彼女とは何度かお茶したり一緒に美術館に行ったりして楽しい時間を過ごした。
私の咳がひどいせいでホストクラブ行く約束ドタキャンしちゃったの申し訳なかった。
ホストクラブには行かなくていいけど、できれば彼女とまた会って近況なんか取り止めもなく話したい。
彼女のことをとらせてもらった写真、インスタの写真のアカウントにちゃんと載せよう。
ひな祭りの日、雨の中新宿御苑で撮影させてもらったこととか、
初めてあった時横浜のイングリッシュガーデンで手作りの花冠つけてくれたなとか・・・
写真っていいね、その時一緒にいたことを思い出せるのいいねって、
語彙力ない気持ちが沸き起こってしまう。
かなり前に、彼女のことを描かせて欲しいと頼んでOKをもらっていた。
なのになかなか、思い入れが強かったりして、まごついて描けていなかった。
今なら描ける気がする。
彼女が活動をやめるという今年中に描いておきたい。