noa no atamannaka

フェミニストの読書記録、映画記録、考えていること

映画『promising young women』

(2022.7.30)

※性加害についての描写があります。ご注意ください。

※ネタバレあります。

 

冒頭から不安な感じがする。

夜のクラブに泥酔した女性が一人でいる。

「あんなんじゃ犯されてもしょうがない」などと話す男性たち。

そのうちの一人が「親切に」彼女を介抱し、自宅に連れて行く。

既に泥酔しているのに、水ではなくさらにアルコールをすすめる。

半ば無理やりのキス。

ベッドに連れ込み、困惑する彼女をよそに同意のない性行為をしようとする男。

女性のショーツを脱がしたあたりで、先ほどの「何してるの?」というフラフラの声とは打って変わった、力強くはっきりとした声での「何してるかって聞いてんだよ。」

困惑するのは男の番だった。

ここでタイトル。

***

この映画を見ていると、女性として生きてきて受けてきた仕打ち、投げかけられてきた言葉、視線、態度、が凝縮されている。

主人公はそれに痛快なまでにやり返しをしていくのだが、それは彼女が元々勝ち気な性格だったからではない。

幼馴染の親友:ニーナが大学時代にレイプに遭い、自殺したというのは大きな理由のうちの一つだろう。

 

レイプ自体の映像描写はこの映画には出てこないのだが、ありありと目に浮かぶ。自分の記憶や、見てきたたくさんの映画、友人、知人、知らない女性の吐露などから呼び起こされる。

ニーナは被害の直後に亡くなったわけではなく、それまで完璧だったニーナという人間が、壊れて行くのを目の当たりにしていた主人公。

被害の現場に居合わせておらず、「あの時私がついていれば」と言う悔いもあって、主人公はその事件の後、成績優秀だったのに医大をニーナと一緒に中退。

現在は両親に少し疎まれながら実家で暮らし、小さなカフェでアルバイト、夜な夜な一人で泥酔したふりをし、「親切な」ふりをして強姦しようとするクソ男どもに制裁を加えていた。

と言っても、酔っていないことを明かし、同意なくお前は性行為をしようとしたな?と指摘するだけである。別に刺したり切ったり殴ったりは一切していないようだ。

それでも男たちは、彼女が実は酔っていなかったこと、自分の思い通りに性行為ができなかったことを悔しく思い、また、予想外の展開についていけず、主人公のことを「頭のおかしい女」とよんだ。

女性は、望んでいない性行為をされ、予想外の展開についていけず、時には殴ったり刺されたりし、それだけでも悲惨なのに「あなたに非があった」と責め続けられるのにね。

***

ニーナのことを加害した主犯の男が、結婚するという。

これをきっかけに、主人公はかつてニーナの事件に関わっていながら、彼女をさらに追い詰めた人物たちに復讐を始める。

事件のことを知っていながら「あの子はビッチだったから。オオカミ少年じゃない?それに、泥酔してたら何か起こるよそりゃ」と言って退けた元同級生を泥酔させ、同じような目に遭わせる。

「被害の告発で有能の男性の将来を潰すことはできなかった」と言う大学の責任者に、「あなたの娘をニーナが被害に遭った部屋に連れてきた。男性と一緒。きっと楽しんでいることでしょう」と揺さぶりをかける。(※本当は部屋に連れ込んで男性と一緒にさせたりしていない。その辺り、関係ない未成年には人道的)

 

過去に加害者の弁護をした弁護士の自宅を訪れた時は少し様子が違った。

 

会ってすぐに主人公が放った「裁きの時間よ」というようなセリフに、「ああ、裁きを受けなければいけない」と、最初から受け入れる態勢の弁護士。少し面食らう主人公。

弁護士はすぐに「ニーナのことだな?」と言い当てた。

「何人も示談にしてきた。示談にするたびに金が入った。でも最近、眠れないんだ。眠れない。助けてくれ・・・」

加害に加担した弁護士がいまさら後悔しているに対して、主人公がどう出るのか固唾を飲んで見守っていたが、

「許します。眠りなさい」

と、主人公。

ニーナのことを覚えていて、すぐに言い当てたこと、また、ずっとそのことを悔いている弁護士に主人公も今まで復讐してきた人たちとは違う感情を抱いたようだ。

 

 

一人目の復讐の時こそ痛快そうな主人公だったが、二人目あたりから疲弊しているのが見てとれる。三人目の終わりには「自分がしていることは正しいのか」と言うような迷いも感じられる。

そう、彼女は復讐は疲れるのだ。

 

ニーナの母に会い、「もう前に進んで」と言われる主人公。

素敵な男性とデートを重ね、もうこんな復讐することないんじゃないかと迷ったりする。

その男性と結婚することになり、両親にも祝福され、父親には「ニーナは私たちの家族同然だった。お前が前に進んでくれて嬉しい」と言われる。

 

もう、ニーナを加害した男への復讐もやめようと思った矢先、

一人目に復讐した女が自宅に現れる。

不安で不安でしょうがなかった、なんで電話に出てくれないの?ここまできてしまった、と。

復讐を悔いているのか、「あの男とあなたは何もしていない。大丈夫」と言って宥める主人公。

「なんか、ニーナの時みたいだなと思って」と、復讐された女。

 

古いスマホのようなものを主人公に渡す女。

「ニーナの被害の動画が出てきたの。あの頃はみんなこれを見て、面白いって思ってた。」

(どこをどうとっても酷いセリフ・・・)

震えながらその動画を見る主人公。

 

なんとそこには婚約した男もいたことがわかった。

 

新しい生活で一緒に幸せになろうとしていた男が、実は過去の加害に加担していたなんて。

個人的にはこの物語の一番えげつないところはここで、しかも、これって現実にも普通にあり得ることだから怖い、と思った。

 

深く傷つきながらも男と別れ、レイプの主犯格への復讐を遂げる主人公。

復讐の途中で主人公は殺されてしまう。

しかし、殺されることを見越していた主人公はあらゆる場所に手を打っていた。

お前たちが悪夢を見るのはこれからだ、と。

私たちがあの事件からずっと悪夢を見ていたように、と。

***

 

男たちは、さんざん酷いことをしておきながら「あの頃はガキだった」などと弱者ぶって抜かすので心底ヘドが出る。

主人公を殺した男を慰める男ともだちもヘドが出る。警察が来たら案の定しっかり逃げていた。

女性として生活してきて、普段からかけられる失礼な態度にもううんざりし、時に危険なほどやり返すほど彼女の心を少しずつ絶望させ壊すには十分なこの世。

(車に乗っていて失礼な口聞かれて、ハンマーで窓ガラスとか割ってやりたいと思っても、やはり仕返しが怖くてなかなかできない。どこかで精神の一線を超えてしまわないとできないことだ)

 

この映画を見て「これをただエンタメとして楽しめる人は、自分とは住む世界が違う人間だ」と言うようなことを言っていた知人がいて、本当にその通りだと思った。これを、ただの面白い娯楽としかとらえない人もたくさんいるんだろうと言うことが想像できる。

主人公は死んでまで復讐しなければいけなかった。

復讐のことを忘れ、婚約者が過去にしたことも忘れ、「幸せに」生きる道があっただろうか?

いや、それはもう、彼女ではなくなってしまう。

例え死んでも、やったやつをのうのうと生かしてはおかない、生かしてはおけない。

そんな破滅的な主人公がいけないのだろうか?

いや、主人公のような、女性を破滅させる社会が悪いに決まってんだろ。

 

この映画を見て、「これはイカれた女の特別な話だ。ありふれた現実のものなんかじゃない。所詮映画だ。」と思うだろうか?

28年女として社会で生きてきた身から言わせてもらうと、この映画は

非常に現実にありふれている、本当はこれくらい仕返してやりたい、希望の、そして、そこまで自分を削らないといけないと再認識させられる絶望の映画だ。私たちの映画だ。