noa no atamannaka

フェミニストの読書記録、映画記録、考えていること

さいならnote

(2020.12.3 ブログから転載)

 

元々はnoteという無料サービスのアプリ?で日記を書いていた。

投げ銭制度もあってなかなか面白かったのだが、

どうしても看過できない事件が起こってnoteをやめるこ

 

以下の文章はnoteをやめたときの投稿である。

 

 

noteをやめよう、と思ってからだいぶ時間が経ってしまった。

noteをやめよう、今やめなければ、、、と思ったのは件のcakesでの幡野氏の相談の一件だ。

幡野氏のあのコーナーは、今までは結構「いいな」と思って読んでいることが多かったから余計にこたえた。

なるほど、「他ではいいことを言っていてもこと女性に関しては考えがバグるひと」というのが実在するんだなと痛感してしまった。

じゃあなぜ、特にフォロワーも多くない一般人の私がnoteを辞めなければと思ったかというと、こういうのを容認している一般人の一人一人の甘さこそがあれだけひどいことを助長させているのでは、と思ったからだ。

彼らの「謝罪文」も読んだが、誠意のかけらも感じられない、というのが正直な感想だ。一番腹が立つのは「相談者さんから削除依頼が来たので件の記事を削除します」という内容の文章が冒頭に来ていたことだ。

もし本当に相談者さんから削除依頼が来ていたとしてもそのことを冒頭に持ってくるだろうか。そもそも、本当に削除依頼なんか来ていたのか?「あなたも、ね、こんな大事になっちゃって旦那さんに知られたら困るでしょう。削除したほうがいいですよね?」などと火消しに回ったのでは、と穿った見方を禁じ得ない。幡野氏が相談者さんの悲痛な相談を「はい、嘘」と決めつけたので私も彼のことを「嘘なのでは」と疑ってみてしまう。

人間誰しも最初から完璧なんかではない。それはわかってる。

でも、だからこそ、何かとんでもない考え方をしてしまったんだと気づく機会ができた時、(本当にこの作業は苦しいのだけど)自分の非を認めて自分の心を見つめ直して時間をかけてゆっくりでも目を逸らさずに直そうとしていく、というのが誠実な人のやることなのでは、、、。

せやろがいおじさんがミソジニーだと批判された時、

「最初はその批判が受け入れ難かったんです。そんなわけない、と認めたくなかった。でも自分の動画を見返していると確かに『女は〜』とか言ってるなと気づいて。なんとか変えようとは思ってるけどもう30何年(?)、今までずっと自分に染み付いた考えをいきなり変えるっていうのは難しくて、、、でも変えて行かなきゃって思ったんですよね」

というような動画を公開していて、ああこの人は誠実だな、これからも見ていきたいなと思えた。

今回の幡野氏やcakesの「謝罪文」はどうだったか。

不快になったらごめんね、みたいなさ、、、、、

それから、今回の炎上のときにわざわざ湧いて出てきたイトイ氏、ついにTwitterでブロックした。

noteとcakesの運営?の人は同じひとだと知ったので今回noteをやめようと思った。

有料ノートは1回しか描いた事がないが、これから書くかもしれないとなった時に今回のことを忘れていたくない。

noteで生計を立てている人もいるだろうし、そういう人に「あんなひどいnoteをまだ使ってるの!?」なんて言えないし思わないが、やめられる立場の私だからこそ辞めようと思った。

こういう時声をあげたり行動すべきは何も有名人だけではないはずだ。

note、見てくれる人もチラホラいたし、広告が無いのもスッキリしてて良かったし、投げ銭制度も大変おもしろくて何度か記事を購入したりもした。

私が書いたnoteで救われたと言ってくれる人もいた。

正直名残惜しいとかもったいない気持ちもないではないけど、一度気づいてしまったひどいことに目を背けて続けることはできない。

noteの記事を別のブログサイトに全て移行し終えたら、アカウントごと消そうと思います。

さいなら、note