noa no atamannaka

フェミニストの読書記録、映画記録、考えていること

母と私について

(2019.11.6にnoteにて公開した記事を再掲載)

 

親との関係が最高に良いよ!って方はあんまりいないのではと思いますが、ご多分に漏れず私もそうです。

たまに親とめちゃくちゃ仲良いよ!とか親とは友達のような関係って方を見るけど、いいな、どうやったらそうなれるの??

私の親、特に母親は、毒親というほどではないと思うものの、その過保護ぶりなどに私は幼い頃から抑圧されていた・影響を受けていたように思います。

大学は家から出してくれたものの、しょっちゅう電話をかけてきて、「今どこにいるの?何しているの?」と逐一聞いてきました。もう限界だ、と思ったのは、下宿先で電話をしていた時のことです。課題をプリントするため、私の部屋でコピー機を起動しました。その音を聞いた母は「今の音何!?どこにいるの!?」と切迫詰まった声で聞いてきました。勘弁してよ。窒息しそう…と思っていました。

高校生になっても車で送り迎えをしたがった事、断っても「いいからいいから」と送ってくれた事(自分が未熟者ということをまざまざと思い知らされるようですごく恥ずかしくて嫌だった)、大学生になったらピアスを開けてもいいという話だったのに、開けるね!と言ったら「あんたこれ以上私に心配かけるつもり?!」とキレ始めた事(は?)(でも勝手に開けた、7個)、思い返せば中学時代から母との関係に悩んでいて、仲が良かった保健室の先生が一度うちの母と話をしてくれたけど結局母がカチンとしただけで終わったっぽい事…

でもそれは全部母親の「愛情」なんだと思うと、むず痒い気持ちに吐き気を催しつつもこれといって派手には反抗も喧嘩もできずに過ごしてきたように思います。

派手に大喧嘩したのはこの間のGWでした。母に私の子どもを預かってもらい、友人に会いに行った時のことです。一抹の不安を抱えつつも、朝、「いいから任せて!行って来な!」と笑顔で送ってくれたのですが…。友人と会っている時に母からLINEが。「すごく泣いています」「いまわたしのシャツを掴んでなんとか泣き止みました」。申し訳ない気持ちになりつつ「ごめん!」「泣き止んだ、よかった〜ありがとう!」このやりとりを最後に私はケータイをチェックしませんでした。(だって友人と会ってるのにケータイばかり見てたら感じ悪いでしょう)

程なくして電話がかかって来ました。着信は母から。いつ帰ってくるのか、とめちゃくちゃキレた声で言ってきます。私の頭の中は、??でした。だって約束の時間までまだまだありました。結局友人に平謝りして急いで帰り、今回ばかりはこっちが折れたらダメだと正面きって大げんか、翌日の朝の予定だった東京に戻る新幹線のチケットをその日の夕方に取り直して帰ってきました。

一応帰ってくる前に母から「私も謝るからあんたも謝りーや」となんともイラつく感じで仲直りはしたのですが、やっぱり腹の虫はなかなか治りませんし事あるごとに思い出します。

その母が今月、東京に来ることが決まった時から私の心は名前の藍よりも青し。

夫や妹にも、母に来て欲しくない部屋を生活を荒らされる嫌味を言われる嫌だ嫌だと病み散らかし(迷惑)、「でも齢25のいいトシしたので女がいつまでもわがまま言っちゃあいけない…」と覚悟を決め(ようと努力はし)ました。

最後の砦は、私が親族の中でおそらく一番尊敬している&好きな、父方の叔母です。

叔母に、今度母が来ることについて、それがいかに嫌かということについて聞いてもらいました。うんうん分かるよと話を聞いてくれる合間に、「大丈夫、少しずつ色んなことをコントロールできるようになってくるからね」「色んなことに気づいて偉いね、いい感性してるね」と言ってくれて泣けてきました。

母については根が深いのでまた続きをいつか書きそうです

ありがとうございました