noa no atamannaka

フェミニストの読書記録、映画記録、考えていること

母と「ちゃんと」喧嘩ができたのはよかった

(2020.12.18 ブログから転載)

 

 

昨日、母と喧嘩ができた。

 

シングルマザーになり、家に住まわせてもらったり子どもを見てもらったりするにも母の手をかりなければいけないと考えることは、初めはかなりしんどかった。

 

去年か一昨年のGW、子供を母に預けて友人に会いに行った時のことがトラウマになっていた。

帰る時間は事前に3回ほど伝えたし、見送りの時も「こどものことは任せて行ってらっしゃい!」という感じだったのに、友人と会っている途中、母はなんども何度も電話をかけてきて、私はなかなか気づかず、気付いた時に嫌な予感がしながらも電話をとったらめちゃくちゃに怒っている母の声がケータイから聞こえてきた。いつになったら帰ってくるのかと怒っていた。訳がわからなかった。伝えた時間にはまだまだ余裕があったのに、何をこの人は怒っているのか。私も友人との時間をこんな形で邪魔されて腹立たしくなり、「じゃあ今から帰るわ」とキレ気味に返したらガチャ切りされた。友人にそのやりとりを見られたのもものすごく恥ずかしかったし、その友人はかなり笑ってくれたから救われたものの、そこまで笑わなくったって、と思う自分もいて感情がぐちゃぐちゃになった。

 

もう二度と子供をこの人には預けないと心に誓っていた。

 

その時はまだ離婚こそしていなかったが、夫は毎日帰りが深夜で子育てには殆ど参加していなかったので、一人で子供を育てるしかなかった。そしてやがてうつ病になった。

自殺や心中が頭から離れなくなるほど追い詰められ、助けを夫に求めたが、夫も夫でいっぱいいっぱいなのだと気づき、離婚した。

 

もう二度と母に子供は預けない、と思っていたのに、手をかりないとやっていけない状況になった。

 

 

実際手を借りるようになったら、思ったほど屈辱的な気持ちになることは少なかった。

(それは私が以前と違い、シングルマザーになったので、自分の為に遊びに行くことなど皆無になり、子供と四六時中 一緒にいるから母から見てちゃんと『母親らしい行動』を取れていたから問題が起こっていないだけなのかなとも思っている)

 

それよりも、車がないと移動がなかなか厳しいこの準田舎町では、免許を持たない私はかなり助けられていると思うことの方が多かった。ありがたいと思った。

 

でも「子供を見てもらっているから」ということで思っていることを溜め込むのは違うな、と思った。

 

 

私の好きな女性は、母親と仲が良いのだが、「しょっちゅう喧嘩してる。毎日喧嘩してる、なんならさっきも喧嘩してきた」と言っていたのが心に残っていた。

面食らって私が「それは最近になってそうなったんですか?それとも子供の時からそうだったんですか?」と聞くと、「子供の時から」だと。

 

 

思えば、今まで、今になって、昔のことがむくむくと心の中で大きくなって気持ちの大部分を閉めるようになったのは、ちゃんとその時その時思っていることを言って来なかったせいだった気がする。

衝突を恐れて、母の機嫌が悪くなることを恐れて私が謝ればいいやと思っていたし、ずっとそうしてきた。

もし何か言ったとしてもそれに対してちゃんと言い返せる気がしなくて、よく訳も分からないまま「はいじゃあ解決だよね?仲直りできたね!」とか言われるのも最高に嫌で衝突を避けていた。

 

今、過去にされたことの恨み辛みを本人に訴えても、「それは思い違い」だの「そんなつもりじゃなかった」だの「それはお母さんのせいなの?」だのと言われて埒が明かない。

それに、「それはどうもすいませんでしたねえ」だのと謝られても腹が立つだけだ。

 

過去のことを今ぶつけてみて思ったのは、

「やっぱりその時にちゃんと言わないといけなかった」ということ。

言わせないような圧力をかけられていたと思うけど、

要は私が臆病なだけだったのだ。

 

せめてもの抵抗として、ふだんから不機嫌な空気を撒き散らしたり、

大学生になるのを機に家を出る(まあそれも「出させてもらった」のだけど・・・)ことくらいしかできなかった。距離を置くことくらいしかできなかった。

 

でも、何がそんなに嫌だったのか、心の中で何度も何度も噛み砕き、文章にしたり、

ツイッターでたくさん自分と似たような女性の呟きを目にしてきたり、ああ、あの感情は文章で表すとこうなるのか、なるほど。と心の中でメモを取り、言葉のストックをためていた私なら、今なら対等に喧嘩ができる。

 

これからはマメに喧嘩できるといいな。