noa no atamannaka

フェミニストの読書記録、映画記録、考えていること

弱冠20歳とか言われたい人生だった

(2019年11月にnoteにて公開した記事)

世の中で、弱冠20歳!とか言われてる人って、どうやってそんなふうになれたんだろう?

家庭環境?才能?もちろん努力はしてると思うけど…
だってさ、20歳とかそれ以下で何者かになっちゃうなんて…生まれた瞬間からなんかしてたの?私とその人との共通点って、肺呼吸だけ?となってる。

DAOKOが出てきたときは、え、まじか、20歳か…こうやって、才能ある人がどんどん歳下になっていって、自分が歳をくったことを嫌でも実感するのね…と思ったし、
ビリー・アイリッシュが17歳ということに関してはもう数字の概念が麻痺するフェーズに入っていた。彼女は17歳、でも恐らく人生は3周目…。

こんなにグダグダ言うのもちょっと理由がある。

小さい頃から何者かになりたいと願っていて、高校の時は「天才は1万時間の鍛錬から生まれる」という本を、付箋をめっちゃ張り付けて読んだ。絵の天才になるべく、毎日三時間は絵を描いたりしていた。写真を見てそっくりに描く練習とか、色々…。放課後友達と遊ぶ☆という文化がなく、授業が終わるとすぐ家に帰って毎日毎日絵を描いた。

「若い頃は勉強そっちのけで本を読み映画を観て、インプットをたくさんした」という蜷川実花さんに憧れて、展覧会に数多く足を運んだし映画もたくさん観たし、本も目標冊数を決めたりしてとにかく読んだ。

つまり自分なりに努力してたつもりではあったということ…。う、こうやって書くと恥ずかしい…。
ここまで書いてて思ったけど、なんだかんだやっぱり努力が足りないってことじゃん…?
絵も、映画も、写真も、全部中途半端…。

本来書こうと思ってた、このnoteの締めくくりはこうです。

「たぶん弱冠20歳と言われるようになってたら、私がしてきた愚かなこととかできなかっただろうし。愚かなこと、楽しいじゃん…?
たぶん若い時に愚かなこと、し尽くさないと、私は40歳とかになって性に目覚めて不倫などするタイプの人間だと自覚していたし。」

「何者にもなれなかったけど、妻になれて、母になれて、よかった☆」

うおお完っ全にルーザーのワオンじゃん…。だせえ…。

この前友人に「コジコジじゃないけどさ、どうして何者かにならなきゃいけないんだろうね…?私は私なのに…」と言われ、また良いこと言ってるこの子!と思ったけど、それを聞いて改めて、私はやっぱりなにかを作れる人になりたいんだなと思った。

たしかに弱冠20歳と言われたい人生だった。それは無理だった。でも、
「あのオバハンなかなかやりよる」と言われる可能性がゼロじゃない限り、やっぱ努力する価値はあるはずだよね…。

初仕事したのが20代後半だったというとんだ林蘭さんが今の私の心の支えだけど、彼女とは細胞レベルで色々違う気がするからやっぱりアテにせず毎日なんかしらコツコツ続けるしかないと思ったのでした。完。