noa no atamannaka

フェミニストの読書記録、映画記録、考えていること

性春の十畳

(2019にnoteで公開した記事)

 

#はじめて借りたあの部屋

東京でいくつかの部屋を借りた今となっては、はじめて借りたあの部屋は、やはりギリ東京ではなかったから比較的安くて広かったのだなとしみじみ思ってしまいます。

地元から東京(正しくはギリ神奈川)に出てきて憧れの写真家さんが通っていたのと同じ大学アンド学科に通えることが決まった私は有頂天でした。

高校まで、親の過保護さが恥ずかしく、「恵まれコンプレックス」だった私は、自分が住む家は自分で決めたい!と息巻いて、できるだけ安い部屋がいい!と自分なりに探していました。

ところが娘の私のことが心配で心配で仕方ない母は、私が候補にあげた部屋を全て却下しました。

ドア開けたらすぐ部屋なんてこんなん危ない!オートロック付きの部屋にしなさい!トイレとお風呂は別の方がいいでしょ?女の子なんだから二階以上の部屋じゃないとダメ!などなど…。

普段私がやろうとすることを全部取り上げて、自立する筋肉を弱らせ、いざ私が自立しようと珍しく行動を起こすと得意の剣幕で捲したてて兎にも角にも自分の思い通りにさせるのが母のやり方だったなと…。

はじめこそ自分で決めたところに住みたい!!と食い下がりましたが結局、母が見つけた部屋を普通にいいなと思ったことと、もう争いは嫌だ…の気持ちになり戦いは終了…。オートロック付きのなんだか寮っぽい部屋に住むことになりました。

初めて親の目から離れて開放感マックスだった私は、男子中学生並みの性欲をもってして、どエロいことをしまくった記憶しかありません。

人生初の彼氏ができたこと、いきなり合鍵が欲しいといわれたこと、その人と3回別れては3回くっつき直したこと、その人と別れてる間禁欲生活をつらぬき映画をひたすら観まくり感想ノートを書きちらしそれを耳に風穴のあいた男の子に送りつけたこと(クソ迷惑)、一瞬遊んだ男が家に入れろよとしつこく言ってきたけど家に入られたらお前が帰ってから私は喪失感で死ぬと容易く予想できたので断固拒否したことetc…

そんな話の詳細は書いてもどうしようもないので…

夜勤のバイトをしていた私はある日朝帰ったら家に鍵だけでなくチェーンまでかかっていて血の気が引きました。と同時に、勝手に家に上がった上にチェーンまでしてグースカ寝た挙句一向に起きない当時の恋人に対して無茶苦茶血圧を上げました。玄関のわずかな隙間から靴を投げて気づかせようとしたり、それでもダメだったので、私の持っている曲の中で1番の爆音の曲(たしかゲスの極み乙女。の「ドレスを脱げ」)をケータイの音量マックスにして流し、隙間に投げ入れ…恋人起きず……

結局家の最寄りのセブンイレブンの店長と仲が良かったのでバックルームで夜が明けるまで休ませてもらいました。

愚かなことしまくったあの部屋はいま誰かが住んでるのだと思うと申し訳ない。