noa no atamannaka

フェミニストの読書記録、映画記録、考えていること

続ければ何とかなるかも、ならないかも

(2019年11月22日にnoteにて公開した記事)

 

風邪をひきました。いや、風邪じゃなくインフルエンザかもしれない。

平熱がものすごく低い私がいま37.9度もの熱を出している。幸い夫がたまたま休みの日だったので子どものことは夫に丸投げして、隔離部屋で今日はすごそうとしている。

やはりこの間の母の襲来がこたえたか…。やらないで欲しいと言ったことをやるし、それが親切だと信じて疑っていないようだし…。思ったより長い滞在だったし…。勝手に食器やら何やらを片付けられて「お世話してやった」などと恩着せがましく言われるのが死ぬほど嫌だったのでいつもの三倍家事をしっかりやったり…そういう日に限って夫は朝から晩までしごとで、帰ってきたら出来立てのご飯を提供したり…とにかく疲れた。ハァ……

さて、そんなホットな私だけど今日もnoteを更新したい…。その理由を書きます…。

同年代の映画監督の女性がいる。
その人は高校生くらいから映画監督を志して、そのために大学も選んだりとかなり計画的に努力を重ねていて、近年、監督した映画が結構話題になったり映画館で異例の長さで上映されたりしていた。また、私がかなり前から好きなバンドのMVも監督したりと、かなりすごい。ほんとにすごい。

率直に言うと嫉妬している。

でも、おこがましくもその人と少しだけ関わったことがあり、その人は本当に…生計成り立たなくない!?みたいな辛い状況でも、歯を食いしばって頑張るタイプの人だということを垣間見ているので、安易に嫉妬などするのもおこがましいと自覚している。

結局、私が映画監督になれなかったのも、諦めたのも、「その程度」だったということに他ならない。と、最近やっと認められるようになってきた。評価したやつが悪い、見る目がない、などとぐちぐち文句を垂れていたけど、そこから這い上がって何度もチャレンジするガッツ、細かいことまで気にして丁寧に仕上げる繊細さ…などなど全てにおいて努力が、情熱が、いま活躍している他の人より足りなかったのだ。見つけられるに足るほどの綺羅星になる前に、やめてしまったのだ。

その人は、雑誌でコラムの連載を待っている。

なんだかんだその雑誌は殆ど毎回買っていて、毎度、すごいなぁとか悔しいなぁとかしか思えなかった。ああまた差が開いちゃったなとおもうだけが、前の私でした。

でもいまは、彼女ほど高尚な内容を語っていないにしろ、わたしにしかかけないであろう文章を書いてるとおもう。無様で惨めで美しくないけど、何回も自分で読み返すほど好きな文章が書けた時もあるし、私のこの、ジタバタともがいている文章を、面白いとか楽しみにしてると言ってくれる方も、いる。数人だけだけど。でも数は関係ない。前は1人もいなかったんだから。

いまnoteの連続投稿が16日を迎えていて、わー、いつまで続けられるかな〜とハラハラしながらもなかなか嬉しかったりしていて。

実力も地位も名声もない私にできるのは、続けることだけです。

続けたらどうにかなるかもしれないし、ならないかもしれない。

でもなんとなく、ぼんやり、365日続けられたらいいなと思って頑張ってます。

風邪だからとか熱が出たとか、家事が忙しくてとか、一回でも休んでしまったら、そこからどんどんずるずると落ちていくのは目に見えているので、なんとかかんとか踏ん張りたい。幸い、下書きのストックは30個くらいある。

はぁ今朝病院に行って薬をもらってきたけれど、こりゃ明日もう一回行ったほうが良さげだな。みなさんも風邪などには気を付けてください