noa no atamannaka

フェミニストの読書記録、映画記録、考えていること

私に賞くれないコンペなんざ願い下げだと言いたいけれど

(2019年11月23日にnoteにて公開した記事)

あなたのアイディア・シナリオがドラマに!?的なやつに応募しようかと思ったけど、募集要項をよく読んだら「取材費やシナリオを書くためにかかるお金は全てあなたの負担です」とか書いてあった上に、この人のアイディアです!的なことも発表されないぽくて、チッ完全なる搾取じゃねーかよ…となったのでやめました。

やるんならせめて「○○さんのアイディアが採用されました!」くらいは欲しいよなァ

考える脳みそは持ってねーからアイディアだけくださいってか、チッ。前いた会社で、同僚のアイディアを勝手に盗んで、そのアイディアを勝手に歪めて「俺のおかげで企画書通ったよ」などとほざいていた男のことを思い出す。それはSちゃんのアイディアだよクソが!我が物顔してんじゃねー

今日は賞についてです。

賞って難しいよな…。

一次審査に通っただけでもすごいのに、賞をもらえなかったら人間性を否定された気にもなる。

映画でなんーーーにも賞を貰えなかった時、頑張って協力してくれた俳優さんたちに、申し訳なくて顔向けできなかった。

賞をとって、いいこと…それはまず、プロフィールに書けること。

○○賞とりました、とあれば、ああその分野でかなりがんばった人なのね、と誰にでも分かる。蜷川実花さんは、写真で賞をとる度に活動を加速させられた、みたいなこと仰ってた。

でもでも、賞取れなかったとしても、頑張ったことには意味があるし、この経験は宝物だよ!と思おうとする私に、「左ききのエレン」のがんばったで賞なんかない、と辛辣ながらも真実のことばが……。ぬるま湯に浸かろうとする私に冷水をバッシャーーとかけてきますね、ええ…。

がんばったで賞は確かにない。でも、やってきたことをだーーーれも見てなかったか?というと、それも違う。確かに見ている人はいて、それが何かにつながることは、気休めでもなんでもなく、事実としてあると思う。

映画「ラ・ラ・ランド」では売れない女優のミアが身銭を切ってなんとか借りて上映した演劇で、客はほとんど来ずミアの心も折れてしまうけど、その数少ない客の中に、のちの出世作となる作品のオーディションに誘ってくれる人がいて…ということもある。

何度も何度もオーディションで落とされたり、オーディション中に屈辱的な扱いを受けたミアは、「もう挑戦するのはこりごり!これ以上惨めな思いしたくない」とそのチャンスに手を伸ばそうとしません。そこは我らが乱れ髪のヒーロー・セブがなんとか説得して勇気を分けてくれる…というア〜いい映画だよなァ〜。

いろんな人が手を替え品を替え言ってるけど、やめたら終わりというのだけは紛れもない真実なんだなぁ。安西先生の「諦めたらそこで試合終了ですよ」が全てを表しているよね。

でもさ、スラムダンクのミッチーだって、一回はバスケから離れてたんだから、ちょっとくらい休憩したっていいじゃんね。

でも休んじゃうと、再開するきっかけがつかめなくて辛くなるのも超わかる。

何が言いたいかというと。

私も賞とることを目標にもういっちょ頑張ってみるか…!と思ってます。

「1_WALL」というコンペ?が35歳まで応募できるみたいなのでそこで賞とりたいな〜。写真ではなくグラフィック部門で…。

人生で一回くらい、自分の作ったもんで評価されたいよー。

35歳まで、となるとあと10年。だけどほんとにあっという間に過ぎてしまうだろうから、ぼちぼちやろかっていうよりは、今からやんぞ!で頑張ります。