noa no atamannaka

フェミニストの読書記録、映画記録、考えていること

やさしい無関心

(2021.1.14)

 

思い返してみれば、元夫の話し方や私への接し方で救われていることだって多々あったのだ。

「優しい無関心」

 

その時のnoteの記事(今はもうnoteやめてます)を再掲しておきます。

自分が忘れない為に

 

 

(2020年1月7日にnoteにて公開)

私の母が過干渉、過保護ということは私のnoteを読んでくださってる方はご存知だと思うのですが、私が結婚した人はやさしい無関心の持ち主のようです。

やさしい無関心、という言葉は私の好きな写真家さんが仰ってた言葉で、いい言葉だ…と思ったので勝手に使わせていただいてます。

うちの母の過干渉・過保護ぶりはどんなものかというと…

・出かける時にどこへ行くのか誰と行くのか何時に戻るのか執拗なまでに聞いてくる(大人になっても)

・帰りの時間が遅くなると怒りのLINEや電話が来る

・離れて住んでいた時もこれは続き、戻っているはずの時間に電話をかけてきて、まだ外らしいと気づくと「今どこにいるの?」などと探りを入れてくる。ある時自宅で電話していたら、コピー機の音に過剰反応してきて今どこにいるの?!これ何の音!?と金切り声をあげてきた。

・買った本や映画のDVDに検閲がかかる。こんな本読まなくていいのに!と冷笑と嘲笑とともに言われたり、こんな映画のDVD買いやがって!などと言われることもしばしば。私が好きで買った本なのに、否定されて愉快なはずがない。母の好むものを買わなければと思うようにもなっていた。

・お金の使い道を把握したがる

・「お母さんはコソコソされるのが一番嫌い!」などと言うが正直に言ったら言ったでうるさい。どっちみち文句言われる運命。正直に話してほしいなら、話されるような態度しろよと思う。

大したことじゃないはずなのに、恨み辛みが深い。

対して、私の夫は
勝手に出かけても、行き先も聞かないし、お金の使い道も聞かないし、私がこれから発送する郵便物を持っていても「それ何?誰に送るの?」などと聞かない。

私に興味が無いのでは…?と思ったこともあるが、私はこのやさしい無関心がとても心地よいと思ったし、このやさしい無関心に生かされているなと思う。

このやさしい無関心は、大前提として私への信頼のもとに成り立っているので、私もそれを裏切りたくない。
なのでいくら勝手に外出しても追求されないからといって、男の人とこっそり会おうなどという気が全く起こらないのはそういうわけだなぁ…。

最近は仕事といえど男性とサシで会うとなったら想像しただけで抵抗があるので、なんとしても在宅でできる仕事で稼げるようになりたいという思いを強める今日この頃です。