noa no atamannaka

フェミニストの読書記録、映画記録、考えていること

相思相愛とは限らない

(2019にかいた記事 多分)

 

恋愛の話ではないんだけど、

最近「相思相愛になれる」前提でいない方がいいなと思うようになった。

というか、「誰とでも相思相愛になれるとおごらない方がいい、

相思相愛になれることなんて滅多にない」と肝に銘じておいた方が

何かと幸せになれるなと思った。

 

 

撮影したことのあるモデルさんがいる。

一時期その人は私のことをフォローしてくれてたけど、いつの間にか外れていた。

私ばっかり好きみたいじゃないか、となんだか惨めな気持ちになった。

また、別の人で、一貫してフォローを返してくれない人がいた。

その人を撮影させてもらう時に、

「(私が)フォローしていない人で今回撮影してもらうのはあなただけですよ」

と、多分善意で言ってくれた。

善意で言ってくれたんだろうなということはわかっても、

フォローを返してくれないということが

私のことを認めてくれていない、ということだと思ってしまってなんだか惨めだった。

 

 

一時期、その二人のフォローを外したりミュートをかけたりしていたが、

今は普通にフォローしている。

 

 

私ばかりこの人たちのことをみているんだなあと思ったりした。

 

でも最近、「いや、そもそも『誰とでも相思相愛になれる』って前提で

考えすぎじゃない?私」

と気づいた。

私だって、「あなたの写真すごく好きです!」とモデルさんや写真撮ってる人に言っていただいてフォローしてもらっても、その人にフォローを必ず返すわけではないもんな。

 

かなり前は、無理してフォローを返していたけれど、

自分の好みじゃない写真が大量にタイムラインに流れてくるようになって、

しんどくなってしまった。

 

 

自分が好きなモデルさんが、他の人に撮ってもらった写真を

「お気に入り!」と言っていて、

自分が撮らせてもらった写真はそういう風に取り上げてくれたことが

なかったとしても、「当たり前」。

私が頼んで撮らせてもらっただけなんだから、

それを向こうが気に入ってくれるとは限らない。

 

でもたまに、「この人の写真やら言葉やら何やら好きだなあ」と思った人に、

「私もあなたの作品好きです!」なんて言ってもらえることがある。

 

これは福引きでアタリを当てたくらいのラッキーなのだ。

 

普通のことじゃあない。

 

砂場でキラキラひかる石英のカケラを見つけたような気持ちで、

その人のことを大切にできればいいなと思ったり・・・。