noa no atamannaka

フェミニストの読書記録、映画記録、考えていること

老害にならないためには

(2019/12/3 noteにて公開した記事)

ある若い女の子がいます。

その子はフォロワーが何万人もいて、ということは、応援してくれる人が何人もいるということで。今まで自分がやったことのない、新しいことにチャレンジするためにクラウドファンディングをするそうで。

その子が新しく挑戦するアレは、わたしが諦めたアレで。

自分ができなかったことを、きっとやってのけるその子の足を引っ張りたい気持ちにも、正直、なる。

応援してやるもんか、応援なんかしない自由もあるはずだ、なんて思う。

でもそれをしちゃあだめだ。

なぜなら自分がもっと惨めになるから…

心に折り合いをつけてから応援する、が正解だと思う。

前の職場の先輩で、一等一番嫌いな女がいた。

そいつは、若くて綺麗で既婚で、側からみりゃ勝ち組のように見えたけど、根性の曲がった女だった。

「私は先輩から酷い目に遭わされてきた。だから、あんたも酷い目にあわせてやる」と私に言ってきて半ば嫌がらせのような「指導」をしてきて心底呆れた。

先輩からされた仕打ちが嫌だったのなら、後輩には同じ目に遭わないようにしてやるのが先輩というものなのではないの?

苦しむところをみて、それみたことかとにやにや笑い、ここぞというタイミングでヒーローのように現れ、助けてあげる。そんなのは嫌だ。

その子に迫る幾千もの障害の一つに、自分が加わってはいけない。あの先輩みたいになりたくはない。

「若い」エリアをビュンビュン進む、人生のジェットコースターにのりながら、チャンスを掴みとれず、「あっもう終わり!?やだやだ、もう一回!」とジタバタもがいてはみたものの、このジェットコースターお一人様一回きりでして。という事実を少しずつ受け入れていく。ジェットコースターの後ろのほうの列に座って、いま「若い」エリアを疾走している人達を横目で見る。

悔しい気持ちや切ない気持ちをぐっと堪えて、ささやかだけど若い人を応援し、私も私で自分のやりたいことのために頑張る。

老害」にならないためにはこれしかないよね。

残念だけど自分はもう「若い」といえる分類ではないと受け入れ、若さ以外の武器を身につけないと惨めで生きてはいけないとひしひしと感じている。
若い頃は、若さばかりに目をつけられるのがシャクだ、などと思っていたくせに、結局若さ以外の武器など持ち得ていなかったのだと気づく今日この頃のわたし。
さいなら、さいなら、、、、

わたしもきっと自分が忘れているだけで、若い頃は色んな大人に助けられてたんだと思うし、上からもらった良いものは下の世代にも手渡していかなきゃね…。

ということで少額だけどその子のクラウドファンディングに参加したのでした。おしまい。