noa no atamannaka

フェミニストの読書記録、映画記録、考えていること

「第1章、終わり」

(2021.2.21)

 

 

スピーチ動画のTED・・・ではなく、

おっさんぬいぐるみのTEDの映画。

観てからだいぶ時間が経っているので詳細は忘れてしまいましたが、

ブラックジョーク満載で笑っていいのか悪いのか・・・とちょっと戸惑いつつも

なかなか面白かった、という印象がある。

ですがTED2、観た直後から許せないところが点あった。

それは・・・1で映画一本丸々かけてやっとくっついた「運命の女性」と

あっさり別れてしまっていたこと。

別れるシーンが描かれる、とかもなく、冒頭ですでにいなくなっていた。

冒頭のバーのシーンで「あの結婚は間違いだった、間違った人を選んでしまった」みたいな一言で片付けられていたのも衝撃だった。(でも主人公は彼女と別れたことが原因でふさぎこんでいる・・・という描写があったけど、それにしても、、、ねえ!?)

実際には1の女優さんとの契約が切れたとかアマンダ・セイフライドに出演して欲しいから別れたことにしよう!みたいな映画制作側の事情だろうなというのは容易に想像できるものの、

あんなに愛を確かめ合ったのに・・・!?と衝撃がかなり大きかった。

でも最近、ふと思った。

私の結婚と離婚もそういうものだったんじゃないかと。

あれだけ一時期は「この人しかいない!この人と幸せになる!一生一緒にいる!」と思っていても、

映画が一本終わって次の話が展開されるように、ガラリと場面が切り替わってしまうものだったのかもしれない。

元夫についてどう考えたらいいのかわからない。

嫌いになって別れたわけでもないけれど、

どうしても許せないところがどんどん多くなっていって、

どれだけ話そうとしてももう言葉が通じないようになっていってしまった。

今でも夜寝るときや朝にふと思い出して、

静かに泣いてしまうことがある。

他に誰か好きな人でもできたら楽しいかもしれない、と思うこともあるけれど

そんなことしたら傷つくかもなあと考えてふわふわした考えがしぼむ。

でも元夫にはもうすでに誰か新しくいい人がいるかもしれないと考えたりもする。

自分じゃない誰かに意識がいっている状態は、結構消耗する。

今思えば、本当に恋愛なんて学生のころくらいしか思い切りできないなと思った。

かなりコスパ悪い。

誰かのことを思って何にも手につかない、なんて、文学で読むと微笑ましいものだが、

自分が渦中にいるとたまったもんじゃない。

 

 

先日、読んでいた本にちょっと面白いことが書いてあった。

「最悪な出来事があったら、『第1章、終わり。』と呟きましょう」

 

 

 

最悪ってほど悪い出来事でもないけれど、ここはひとつ、

私も「第1章、終わり。」とつぶやいてみるか。

元夫のこと、嫌いになっちゃいけないんじゃないかとか

子どもの父親だしこれからも好きでいなきゃいけないのでは、とか勝手に思っていたけど、

そんなこと思わなくてもいいのかも。

誰かとどうこうというより、

今は自分のこともっと好きになってあげたい。

さて、今度はどんなタトゥーを入れようか・・・。