noa no atamannaka

フェミニストの読書記録、映画記録、考えていること

比べるなと言ってもさ

(2019年11月6日noteで公開した記事)

はじまりはプロ奢ラレヤーさんのツイートでした。これは公式な文章ではなく私のゆるゆる文章なのであえて原本載せませんが、内容はこうです。

“たくさんの人に奢られて分かったこと→snsをやって、楽しくなった人というのは、自分の人生を他人のそれと比較しない人。比較してしまう人はえてして不幸になってる。”

え、間違いなく私、後者じゃん…?

その後もTwitterにかじり付いて、人と比べないことが大事デスヨという文章を目にしては、「またでやがったな、妖怪クラベナイ!」という気持ちでいたものです。

でもさ、比べなくなったら幸せになれるってみんな言うけど、どうやったら比べなくなれるの??気付いたら比べまくってるエブリデイ…

twitterで見かけた大学時代の同級生、毎日絵を描いて、コーヒーを飲んで、お散歩しかしてません。みたいなこと言ってて妖精か!?羨ましい!と思っちゃったし、自分より若くて細くて美しい女の子にはどうにも嫉妬してしまうし、そろそろ酒飲みたいよーへべれけになってるひといいな〜とか思っちゃうし…

比較比較の無限地獄。

でも待って、よく考えてみて。私に無いものではなくあるものを数えてみよう。結婚してて、夫のことが今も好きで、可愛い子どもがいて…とハタから見ればかなり幸福度高そうなはず。

なのにどうして毎日こうも惨めなの。

子どもの時、学校に行くのが辛い子に対して「世界には貧困で学校に行けない子もいるというのに!」と言ってる人がいた(あれ、うちの母かな?)。その時はなんとなく、自分はなんで贅沢ものなんだ、もっと頑張らなければ…!と思っていたけど、いやいや、ハァ?

世界の誰かの痛みを私の痛みと天秤にかけて、どちらが重いか、勝手にはかられたって困る。その人の痛みはその人のもの。私の痛みは私のもの。

でも痛いのが好きなわけじゃ無いから(いっそマゾになれたら人生楽しいのではとさえ思う)そのまま痛みに感じ入るのか、痛みの原因を探し出して自分に処方せんを出してあげるのか…は私次第。

これも流れてきたツイートで、

比べてるなって気付くだけでも偉いんだよ!

と。なるほど、また比べちゃったなぁと思えばいいんだね、少しずつできるように頑張ってこ、