noa no atamannaka

フェミニストの読書記録、映画記録、考えていること

かつての神は、粋なお姉様に

(2019年11月13日にnoteにて公開した記事)

初めて林檎さんの曲を聴いたのはラジオだった。小学5年生のとき。FM802、だったと思う。夕方5時くらいに、今週のトップテンというのをやっていて、たしか5位と1位だけ曲が全部流れる、というような仕組みだった。東京事変の「修羅場」を聴いて、一瞬で虜になった。

え!アーティスト名、東京事件!?もっかい言って欲しい!!曲名は!?シュラバね!!と必死で曲紹介に耳をそば立ててなんとかアーティスト情報をゲットした。

母には「え〜椎名林檎とか…不倫した人やん よくないよ〜」などと言われたが、私の林檎さんへの興味は「不倫をした人なんだ!じゃあやめとこ!」とはならないほどまでに膨れ上がっていた。

そこから「無罪モラトリアム」「勝訴ストリップ」ちょっと順番飛ばして「教育」「大人」を、近所のCDショップでレンタルして、MDにダビングして何度も何度も聴いた。もう完全にどっぷりだった。彼女が超ブレイクしていた世代に生まれたかった、10年ほど遅かった、などと思っていた。

林檎さんが音楽監督を担当されてると聴いて、中学生の頃、映画「さくらん」のDVDを祖母に買ってもらった。あとでみんなで見ようね〜などと母が言っていたが…のちにこれが「お茶の間を凍らせる」映画だと知る。しかも私がいない時に勝手に本棚からとって映画を見たらしい母は「あんな卑猥なものを」と怒ってきた。理不尽。

それはさておき、林檎さんの音楽が最高で、「平成風俗」も最高だった。ここから「意識」「浴室」などの曲を知ったので、過去のバージョンを聴いた時にえらく驚いたのを覚えている。何かのインタビューで林檎さんは「初めから、平成風俗くらいのクオリティで作りたかった」と仰っていたのを読んだ。おこがましいけど、なんとなく気持ちがわかる、などと。

彼女が喋ったことはなんでも知りたくて、1ページでも彼女が雑誌に載っているとなれば本屋さんに走りにいったし、大概売ってなかったのでここで私は人生初のネットショッピング「セブンネットショップ」的なものに大変お世話になる。

中学2年の時、「三文ゴシップ」の「二人ぼっち時間」。みんなのうたにもなった。ドキドキしながら、みんなのうたの開始時間を待っていた。友人になぜか無視され続けて、悲しい思いをしていた時に聴いていたので、この曲を聴くと今でもたまにその時の気持ちを思い出す。

林檎さんの年齢を知り、もうすぐで30?え、おばさんじゃん!なんだかやだな、、、と思っていた中学生の私を打ちのめしたのは林檎さんのインタビューでの言葉だった。

三十路を無事迎えられたのが心底嬉しい、という内容の言葉だった。ロックスターは27歳で自殺して永遠に伝説となって欲しい、というような手紙が届いたりしていて、そういう世間のくだらない風潮に流されて死んでしまうのではないかとずっと葛藤していたという。でもドラッグもやらずに生き抜いたよ、ヘルシーでカッコいいことをしたいんだという文を読んだときに心底痺れた。歳を取ることをこんなにも喜んでいる人を初めて見た、と思った。

時は流れ、中学生だった私は「アラサー」、25歳になった。

中学生の私は、何者かになりたいと渇望していたけど、しょーもないアラサーにしかなれてない。

かつて神様みたいに崇めてた林檎さんは、神様というより素敵な年の取り方をしたお姉さん、という存在になっていた。これは堕ちたとかって話じゃない。

いつも林檎さんが女の味方でいてくれるから、なんとなく頼もしく感じて、曲を聴いたらせめて死ぬのはもうちょっとやめようかという気持ちになれる。

戯言だったのかもだけど、サッカーチームを作れるくらい子どもを産んで、一度は週刊誌に載せられるほど太って、素敵なショウを披露するお店を開いて欲しい。要するに林檎さんの夢が全部叶えばいいなと思ってる。

最後に私の最近の私を勇気づけてくれた歌詞を。

“ああ、老いていくって何て快感。”

「マ・シェリ」より