noa no atamannaka

フェミニストの読書記録、映画記録、考えていること

この人がカリスマとなる現代の病み

(2019年11月13日にnoteにて公開した記事)

気取ったタイトルを書いてしまって恥ずかしい。

このハッシュタグがコンテストだとは前回、椎名林檎嬢についての愛を書ききってから知った。コンテストで選ばれるなどとは思ってないけど、面白い企画に乗っかって、好きなアーティストのこと語れたら楽しいなってだけ…。

なので参加条件もあまりちゃんと読まずに2つめの記事を書いてます。

今回書きたいのは病み症な私の精神を度々助けてくれる、うら若き天才、ビリー・アイリッシュについて…。

私が推すまでもなく、もう全世界が推してる!って感じだけど、彼女について描きたい。

初めて彼女の音楽を聞いた時の衝撃は覚えています、里帰り出産で地元に帰ったとき、迎えに来てくれた車にかかっていたラジオで流れた「bad guy」。

ぞわぞわ、ざわざわ、なんだか気持ち悪い。気持ち悪いのだけど、同時になんだか心地よい。ウィスパーボイスだからこそ耳をすませて聴きたくなる。その時はアーティスト名は聞き取れなくて、曲名だけ聞いて、よかったすぐ覚えられそう、帰ったら検索しよう、と思っていた。

ところで、私の話をさせてほしい。

私は病院で鬱病です、と判断されるほどには「ちゃんと」鬱病ではない、そう、ただのクソネガティヴな主婦。その病み症にはかなり磨きがかかっていて、今や箸が転がっただけでも病む。こんなに辛いのに病気じゃなくて、わたしはただの余っ甘ったれだなんて、本当に救いようがないと泣きたくなる。

そんなときに効く(あえてこの字)のが、ビリー・アイリッシュ

聴くと力が湧いてきて踊り出したくなっちゃう!っていうのとは違うんだけど、みんなの中の「孤独」に寄り添ってくれているような気がして、なんだか落ち着く。とりあえず、包丁を手首にトントンするのはやめようか、となる。

彼女は今や「大衆に受けてる」「人気者」「カリスマ」という言葉がぴったりだけど、その印象とは裏腹に、一人でいるときに聴くほど沁みる、と感じている。

元気なときに聴くと不安になるような曲が多いのだけど、元気のないときに聴くと安心する。

みんな彼女の曲を聴いて、孤独に、不安に、寂しさに、ずっぽり浸かることで逆に癒されているのだろうか。

そんな曲を歌う彼女が「カリスマ」である今は
まさに世界全体が病んでるのかもな、などと。