noa no atamannaka

フェミニストの読書記録、映画記録、考えていること

なんでもかんでも他人に委ねない

(2019/12/8 noteにて公開した記事)

たとえば、自分の好きな人、尊敬してる人が、「こういうシチュエーションの写真が嫌い」と言ったとして。
「あー・・・あの人が嫌いって言ってるから、これは悪!私も嫌い!」
じゃなくて。ちゃんと自分の目で見て自分の頭で考えて、自分が好きなものは愛でるようにしよう・・・と改めて思います。

人のことを批判するのは簡単だし言われた方もいい気はしなく、何も生まないので、あくまで自分の話を中心にします。

私は「憧れの人」に考え方や生き方、なんでもかんでも依存しがちだなと最近気づきました。そして一つの意見として受け入れるのはいいけれども、なんでもかんでもありがたがって崇めてしまうのは良くない。

あの人についていけば大丈夫、あの人は私を正しい道に導いてくれる!…って、そりゃもう、宗教じゃないですか。宗教が人の心を救う部分があるのもなんとなくわからないでもないけど、人は、神様じゃないからなあ。神様ほど絶対的な存在じゃないもんな。だからにんげん同士じゃ宗教は成り立たないと思っていて・・・。

なんでそれが良くないかって、自分で何かを考えることを放棄してしまっているから。

考えるのを放棄して、盲目的についていった結果、その人が自分の理想じゃなかったと気付いた時、「裏切られた!」とか「がっかり」などと勝手に思ってしまうわけです。

今回もみじん切りピーマンチャーハン入れ作戦で話をねじ込んじゃいますが、

政治の話も、多分多くの人が「盲目的に信用していい誰か」を求めてるんだなと思います。

自分の好きなアーティストが、俳優が、芸能人が、インフルエンサーがこう言ってるからそれについて行く、というのをやりたいのだなと。

海外の有名人は政治的発言を堂々とするのに、なぜ日本の有名人は一切しないんだろう?と思っていましたが、今はなんとなくその理由が分かる気がします。

自分で考えることをしない人たちに対してそんなのを言ったところで、盲目的に付いてくるだけだから意味がない。

海外の有名人か政治的発言をできるのは、それを受け止めて咀嚼して、信じるか信じないか選択できる、考える頭を持った国民たちがいるからなんだろうな~と思いました。