noa no atamannaka

フェミニストの読書記録、映画記録、考えていること

霹靂の解決法

(2021.2.18)

 

 

今日から3ヶ月、毎日ブログを更新してみよう・・・。

(過去に書いたnoteの再掲載は数に入れずに)

一度長いこと立ち止まってしまうと、重い腰がさらに重さを増してしまいなかなか次に進むことができなくなる。(なっている今。)

 

noteを一時期、毎日更新できていた時は、朝、まずだいたいのことを書き出して、

夕方だか夜だかに一から読み直して最後まで書き上げたりなどしていた。

今にして思うとそんなことできてたの?えらい・・・という感じだが・・・。

 

 

やりたいことが多すぎる。

そのくせ、一個一個進めるのは牛歩並み、いや蝸牛並みに遅くて自分でイライラしてしまう。

中学か、高校生くらいのころからずっとこんな感じの精神状態でいるような気がする。

何かを終わらせたと思ったら、忘れていた何かを思い出し、長いこと手がつけられず、でもそれをやらなきゃという気持ちは心の中にずっとあって疲弊してしまう・・・というような。

 

この間、ふと、落ち着いて、

「じゃあ私は一体どういう状態になれたら、心地よく暮らせるんだろう?心地よく居られるんだろう?」

と考えた。

「やろうと思っていることがサクサク進んで、『あれやらなきゃ』と思ってから取り掛かるまでの時間が短くて、、、、」

などと考えているうちに少しわかったことがある。

 

やろうと思っていることがサクサク進んで・・・というのは、慣れてきたらできるかもしれないが、慣れないうちはできないし、慣れても、どうしても細々したことや段階を踏まないといけないことはある。「サクサク進める」というのは、もしかしたら自分が思ったより重要なことじゃないのかもしれない。

 

それよりも、私のイライラを増殖させるのは「『あれやらなきゃ』と思ってから取り掛かるまでの時間が長い」、つまり『やらなきゃいけないのにやっていない』『やらなきゃいけないことをやらずに好きなアニメや漫画ばかり読んでいる』という罪悪感が長く心の中に巣食っていることなのではないか。

 

この仮説(結論?)に行き着いてから、

可愛い縦長の一筆箋に、やることリスト・やりたいことリストを書き出した。

(一目惚れしてたくさん買った一筆箋、私はこのために買ったんだな・・・!!などとちょっと感動してしまった)

 

緊急度が低く、「いつかやらなきゃorやりたい」と思っていることや、

緊急度高めの「○月○日までにやらないと」ということをぜんぶ書き出した。

 

すると「あれやらなきゃ、と漠然と思っていたけどまだまだ時間あるな。

それよりもこっちの方があと数日で仕上げなきゃいけない案件だ、こっちやろう」という風に思えるようになった。

今まで、イライラする必要のないところでイライラしてしまっていた部分も多かったのでは、と思えた。

 

それから、やることが終わった用済みのやることリストも、捨てずにノートなどに貼るようにした。

私、頑張ったね・・・!の記録。

可愛い一筆箋なので捨てるの勿体無いし、

なによりやることやって達成感感じていいはずなのになぜかいつも虚無の気持ちになる・・・というのが解消されたように思う。