おすすめのイラストオンラインクラス②
そもそもclass101を受講しようと思ったきっかけは、
ナカキパンツさんだった。
彼女の講座がclass101で始まるというので、今までも見たことはあったけどやろうと思っていなかったclass101を始めることに。
新年の企画で、30%オフのセールをしていたのもデカかった。
1年分の料金を一括払いで13000円くらいだったのだけど、
受ければ受けるほど「これ安すぎでは・・・!?」となるほど、魅力的な講座が盛りだくさんだ。
CLIPSTUDIOの使い方を簡単に説明してくれた後、インスタライブでやっているようにどんどん作品が出来上がるのを眺められる。
彼女のおしゃべりも楽しい。
今まで散々CLIPSTUDIOの使い方の本を買ったりしても全然頭に入ってこなかった内容がするする入ってくる。
憧れの人・好きな人がやっている方法を知ることができるというのがまずいいし、その方法を1つでも2つでも取り入れてみるだけでも作業効率がぐんと上がり、作業している段階のストレスもすごく減った。
特にこの講座を見てから使うようになったツールが2つ。
(難しいものでもないのになぜ今まで使わなかったんだって思われるかもですが・・・)
①ベクターレイヤー
クリスタでもベクターを使えるというのは知ってはいたものの、うまい使い方をいまいちわかっていなかった。
そして、このベクターレイヤーを知る前、私は、
「いつか印刷物にしたいから」という理由で、ものすごくデカいサイズで作業していた。(ちなみに1200dpi。マシンに負担がかかるのでみんなやめようね)
デカいサイズで作業していると、しょっちゅうマシンが「考え中・・・」みたいになってしまうし、ほんと良くない。
でも、いつか印刷した時に、サイズが小さくて画質が荒れてしまうのを恐れてデカいサイズで作業していた。
でも、ベクターレイヤーを使えば、どれだけ大きく拡大しても荒れないようなデータとして残ってくれる。
なので350dpiで作業してても安心。
ただ、作家さんの中には線を描いてそのまま同じレイヤーでバケツツールを使って色塗りする人もいるけど、
ベクターレイヤー内ではバケツツールが使えない。(線の情報に特化しているからだと思われる)
のでいちいち別のラスターレイヤーに色をつけなければいけなかったりはする。
②なげなわツール
これで選択して、部分的に拡大したり縮小したりすることで、
ものすごく早く「良いバランス」を見つけられる。
アナログで作業していた時は
「この目、もう少し右にやりたいな・・・でもこのいい感じのまつ毛を二度と描ける気がしないから、バランス悪いのはわかってるけどこのままで行くか・・・・」
ということがめちゃくちゃあったが、
デジタルだとそのまま移動・拡大縮小できるのでこういう点はめちゃ良い。
自分はアナログに長いこと拘っていたので、
「便利なツールってズルなのでは」と思っていたのだけど、最近になってようやくその呪いが解けてきた気がする。
おすすめのイラストオンラインクラス①
自分でこのブログに「読書縛り」を設けたはいいが、
本を一冊読み切るまで、途中で思ったことを書きづらかったりした更新が滞っている。
でも書きたいことはたくさんある、
あまり見る人が少ないとしてもどこで発表するかは重要だと思っている。
あんまり考えなしで書いたものほど、「都合悪い人」になぜか見られることが多い気がするし。
頭の中を整理するためにここに書かせてほしい、
最近受けたオンラインクラスのおすすめのものについて。
(ステマとかじゃないんよ)
***
イラストレーター:ヒョナヒョナさんの「基礎からアドバンスまでしっかり!コンセプトアート&イラスト」
実はこの講座、全て受け切ったわけではない。
なんなら3分の1までしか見ていなかったと思う。
でもこの講座の初めの方に、「1年間を通して絵の計画をたてる」という回があるのだけど、それだけでも一見の価値がある。
「誰も褒めてくれないので、自分のことを「よくがんばったね」と褒めてあげながら頑張りましょう」というような一言がずっと心に残っている。
そっか、自分のこと、褒めてあげていいんだね・・・。そうだよね・・・。
あんまり講座の内容について話すのは良くないと思うので要点だけ。
この講座で一年の成長を自分で見やすくするために、毎日絵についての記録を書きましょう、というものがあった。
そこでevernoteをおすすめしていた。
有料のサービスなので、その金額にたじろぎ、初めは「アナログで記録をつければいいや!」と思っていたのだが、
すぐに「自分のえがそのまま見返せない」こと、「この方法だとなかなか見返しにくい」「アナログでノートに記録したとして、ノートもお金がかかる」「それに物質として増え続けるノートを管理できるか?継続が現実的に不可能では?」ということに気づき、導入を決意。
結果、取り入れて良かった!
「この1週間、こんなにがんばってたくさん描けたのか!」と感動する。
その感動を糧に、「ここはもっとこうすれば良くなるかも」などと次につなげていける。
アナログで記録していたら、こうはいかなかっただろう。
「女ふたり、暮らしています。」
ずっとこの本が気になっていた。
良いに違いないことはわかっていた。
ただ、既にかなり売れているので「今私が急いで買って読まなくてもしばらくは残っていてくれるであろう本」に分類されたので、読む優先順位は低くなった。
そんな中、先日、友人(と言ってしまってもいいよね・・・?)が「会う人限定」で素敵な本の貸し出しをし始めた。
やはりその人は発明家だ、と私は思う。
(feminist bitch というワードもその人が生み出した)
今年のGWに東京に行った時にどうしても会いたくて、会う約束をすると蔵書リストを送ってくれた。買いたかった本がたくさん載っていたので目を輝かせた。
連日の疲れで頭がバカになっていた私は、本を持って移動してくれる相手のことも考えずに何冊も借りたいと言ってしまって「ちょっとそれは重いので・・・」と言われたのが今思い返すと面白い。
***
今私は子どもと母と三人で暮らしている。
来年には子どもと二人暮らしする予定だが、本当は一人になりたいとしょっちゅう思っている。特に子どもが見る動画の馬鹿馬鹿しくて音がうるさい時なんかは特に。
その前にもある期間、親戚と共同生活を送らせてもらったことがあるのだが、その時に「誰であれ、一緒に暮らすというのはなかなかストレスなものだな」と感じた。(世話になっているので口が裂けても言えなかったが・・・いや、何かに任せて口走ってしまったかもしれない。)
この本は、長いこと一人で暮らしていた二人の女性が一緒に暮らして2年ほど経った時の話である。
交互に文章が載っていることもあれば、片方の人が連続して文章を載せていることもあった。
かなり違うようで似たところがたくさんある二人。
猫を二匹ずつ買っている二人。
片付けが大の苦手な一人と、片付け好きな一人。
初めの方に書かれた文章をふと思い出す。
(ちょっと今該当する文章を見つけられなくて正しく引用できないのだけど、)
「一人暮らしを長いことして、『もう、いいだろう』とあるとき思った」
というような文章だった。
確かに、今私が欲している一人暮らしは、生活を「完全に自分のコントロール下における」のだろうけど、それはいつか飽きが来るものなのかもしれない。
私が「もう、いいだろう」と思えるほど一人暮らしをできる日は多分20年以上先なんだろうけど、だからこそ、今、瞬く間に成長する子どものことをしっかり目に焼き付けて、できる限りのことをしてあげたいと思う。
特に「借金上手な人になれ」という章がお気に入りだ。
一緒に暮らす上で、片付けのことで何度も衝突したりしながら、一緒に心地よく暮らす方法を探していく二人の戦いは読んでいてハラハラしつつも、「2年くらいするとけんかの量もだいぶ減った」とのことで、かなりホッとしたし、そんなふうに誰かと生きていくのは勇気と根気がいることだなと思った。
元の文章も良いからなのだろうけど、訳の文章もとても読み心地が良くて好きだ。
(未翻訳の二人の本があるので、韓国語勉強したいなと改めて思った)
このインタビューも良かったのでリンク貼っておきます。
二人の人が文章を書いて成り立っている本を他にも読んだことがある。
「胃が合うふたり」だ。
この本の二人は「一瞬、一緒に暮らすことも考えたが、無いなと判断した」二人だった。
全体を通して、「誰かとずっと一緒にはいられない、この人もいずれ自分から去ってしまうだろう」という諦めと怖さを感じた。
今の私は、誰かと暮らすことについて、このような気持ちの方が強い。
この本についてもいつかちゃんと書くかもしれない。
(ていうか前にも書いたかも。)
まだ読んでいない、読みたい本を載せる試み
まだ読んでいない、読みたい本を載せる試みをするのもありかもしれないと思った。
あまりにも読みたい本が多すぎるし、
私はまだまだ知るべきことが多すぎるし。
でもお金持ちじゃないし。
せめて読みたいと思っていた痕跡を残そうと思った。
最近、短歌が気になる。
大学時代の友人が詠んでいるからというのも大きい。
その子が、「短歌は元々子育てや家事で忙しい人が、時間がない中でも何か残したくて詠んだものとか多いよ」というようなことを教えてくれたのも大きい。
心のシャッターを切るように、
でもフィルムを買うお金はないから言葉で残そうみたいなのが今の自分にグッとくるのかもしれない。
「現代短歌パスポート1 シュガーしらしら号」という本を買った。
そこでひときわ気になった作家さんがいた。
柴田葵さん。
この人の短歌は、なんかすごく、気になる。
なんというか、ユーモアセンスがすごく好きだと思った。
この、「母の愛、僕のラブ」という本を近々買いたいと思っている。
Amazonではなくこのサイトから買いたい。
せっかく送料無料にしてくれてるし。
Amazonじゃなくてこういうところから買うと、フリーペーパーとかつけてくれてたりするから趣ぶかかったりする。
別に何もついてなくても、領収書だけでも全然問題ない。
自分がどこにお金を落としたかということが大切だから。
「われらはすでに共にある 反トランス差別ZINE」
今月はプライドマンスですね。
私はフェミニストで、トランス差別には反対です。
アライでありたいと常に思っていますが、
シスヘテロ女性なので、当事者の気持ちを100%「わかる」なんてことは一生言えないでしょうし、なんなら彼ら・彼女らのことをうっかり踏んでしまう可能性を十分もっていることを肝に銘じたいと思っています。
気持ちがわからないのなら、せめて知ろうとするのが誠実なのではないか。
このZINEは、トランスジェンダー当事者の方にはもちろん、「そうではない」人々にもぜひ、もう、全人類、、、、に読んでほしい本です。
マジョリティにいるからこそできること、力になれることがあるはずです。
***
昨今、トランス差別がひどい。
今に始まったはなしではないのだが、歴史として聞くのではなく、今自分が生きている時に、twitterなどでヘイトの言葉がプランクトンのように沸いているのを見るとゾッとする。
自分はシスヘテロ女性だが、自分のことを言われているのでなくても気分が悪くなる。
私は当事者ではないので「見なければいい」という選択もできるが、その選択ができるのは特権だということを忘れてはいけない。
それに、なるべく見ないようにしても、自分のことを『死ねばいい』だとか「居ない者」として扱う人がうじゃうじゃいる世の中で、果たして生きていたいと思えるだろうか、、、、。
トランスジェンダーの人は自殺率がべらぼうに高いというデータを見た。
同性愛者であることを公言している映画監督のグザヴィエ・ドランが
「トランスジェンダーはLGBTの中でもさらにマイノリティ」と語っていたのを聞いたことがある。
その時には「そうなんだ」くらいにしか思えなかったが、今、その言葉の意味を痛感している。
(彼がトランスジェンダーの主人公を描いた映画「わたしはロランス」もぜひ)
私はフェミニストで、トランス差別には反対です。
このことをいちいち書くのには意味がある。
フェミニストの中には、トランス女性を排除しようとする人が一定数いるからだ。
私に限らず多くの人が言っているように、
「トランスを排除しようとする人はレイシストなのでもはやフェミニストではない」。
自分達の安全や権利を確保しようとするあまり、他の、より弱い属性(?)の人たちを攻撃するのであればそれはもう差別主義者なのである。
自分達がされて嫌だったことを他の人にしようとしているのに他ならない。
***
こちらの本、私が探した限り、どこも在庫切れなのでぜひ「再入荷お知らせ」を受け取る設定をしてみてください。
たくさんその設定をしている方がいれば、再入荷もなるかもしれません。
是非是非「物体として」手元に置いておくことをお勧めします。
Kindleを読んでいる方はわかるかと思いますが、
文章のフォーマットが定型化されていて、せっかく文面のデザインをしてくれたものが台無し、、、になっているので
本を作った方々の美学が感じられる、「物体」をお手元に置かれるのをお勧めします。
私もこの本、借りて読んだので、手元に欲しいので是非!
「あなたのセックスが楽しくないのは資本主義のせいかもしれない」
セックスはしたい。
セックスするときに得られる体温や一種の親密さのようなもの、
大切に扱われている(ように錯覚する)あの感じが好きだった。
しかしそれにはかなりの対価を払わねばならない。
セックスするにあたって必要なお金、時間、気持ちの余裕(連絡が来ても来なくても平気、都合の悪い時にはちゃんと断れる)、相手の体や心を最低限思いやる余裕、などが、今の私にはないことに気づき、セックスすることを諦めて半年くらいが経った。
セックスを諦めるに至った理由は、
それにかかるさまざまなコストが高いと思ったことの他にもう一つあった。
(私はシスヘテロ女性なので相手が「男性」なのだが)
セックスにおいて、男女でさまざまなものが不均衡だと痛感したからだ。
まず第一に、妊娠の危険性。
男性はこれを絶対に孕んでいない。
セックスはしたいが二度と妊娠はしたくないので
毎月三千円近くお金を払い、避妊と生理不順を治すために低容量ピルを飲んでいた。
ゴムをしていても安心できない。
毎日決まった時間に薬を飲まなきゃいけないなんてかなりだるい。
1日飲み忘れただけで冷や汗をかく。
こんな思いを君たちはしないだろう、と
体を重ねる人相手にどこか冷めた、いや、憎しみのような気持ちさえあったかもしれない。
第二に、金銭面の差。
そもそも男女間で稼げる金額が違う。
「だからホテル代は男性が負担すべきだ」というのもなんか違う。
「払ってください」とも「払ってくれてありがとう」とも言いたくないので
割り勘していたが、どんどん薄くなる財布に不安を感じている。
なのに「俺たちは『平等』だよね!」と言わんばかりの相手にイラつきさえする。
(こんな感情を抱くような相手とするべきではないんだろうな、と思うようになった)
第三に、「もしかしたら殺されるかもしれない」という危険性を持っているか否かということ。
男性は「もしかしたら今日会う子に羽交い締めにされちゃうかもな」とか
「刃物で脅されてやりたくないプレイを強要されるかも」などと不安に思いながら会うことはないだろう。
「ならよく知らない相手とセックスなんてしなきゃいいじゃん」という声が聞こえてきそうだが、知っている相手とセックスする方が何かと面倒なことに発展すると身をもって知ったのでこの方法を取っていた。
この手のものはポイントを三つに絞るべきというセオリーがあるのだが、
それに反して4つ目のポイントを上げさせてもらう。
第四に、「性生活を楽しんでいる」男性と女性では世間での扱われ方が大きく違う。
前者は「男らしい」「価値がある」のように称賛さえされるような雰囲気さえあるのに、
後者は「遊んでる」「汚い」「はしたない」「肉便器」のような言われようだ。
複数人と合意の上関係をもっていることを恥じていないとしても、
なかなか他人に聞かれた時に気安く説明しようという気にはならない。
クソいらねえ説教をされる羽目になる。
そんな時にこの本の存在を知った。
自分が考えていることを、誰かが話していると
「やっぱりそうだよね!?私のきのせいじゃないよね!?」と心強く感じるし、
それを誰かが研究したりまとめたりして本にしてくれているのを読むと、
その考えは確信に変わる。
そして、私たちをもやもやさせる正体はなんなのか、一つの答えを見つけてくれてたりする。
***
私が男女間のセックスについて感じている格差について、特に二つ目に上げた「金銭面」についてこの本は紐解いてくれている。
二組の母親がいる。
片方は仕事を続けながら子育てし、片方は妊娠がわかると仕事を辞めてしまった。
前者は自分名義のカードをもっているのに対し、後者は夫にカードを、お金を使う権利を握られている。「お願い」しないと使わせてもらえないし、「お願い」しても使わせてもらえなかったりする。よりによって久々に会って食事をしている時に。
「セックスの回数が少ないから」お金を使わせてもらえないのだという。
友人に奢られる時にその人がこぼした、「今日彼とセックスして、お金返すね」という言葉に胸が痛くなる。
夫婦とはそんなふうに何かを脅しに握られている関係だろうか。
その夫もひどいやつだが、多分こういう話は腐るほどある。
それを「腐るほどある」ようにさせているのは資本主義なのでは・・・と気づきを与えてくれる本でもあります。
実はこの本、借り物でまだ所々しか読めていないので、続きは自分が買った時に何度も読みたい。
***
章と章の間に過去のフェミニストたちの紹介がされているのもいい。
(リリーブラウンという服のブランドが結構好きなのだが、もしかしてこのフェミニストの名前からきたのか?などと勝手に考えたりした。)
「怒りZINE」
みなさんは普段怒りを感じますか?
理不尽な客、自分勝手な上司、国民の意見を全く聞く気のない政治家・・・
この国では怒りを感じることはよくないことだとされる傾向が強いですよね。
また、理不尽に対して怒っているのに「アンガーマネジメントだよ!」などと言ってくる脳みそカスな人もいますね。
そんな人には「6秒間我慢したとして7秒目にお前を殴る」という気持ちになります。
怒りを感じることは大切なんです。
然るべき時に怒りを感じなくなってしまったら、人間としての尊厳がどんどん削れていくのを感じます。
「怒らない」「気にしない」人が果たして「強い」人でしょうか。
心が健康的な人でしょうか。
ここで言いたいのは、誰彼怒鳴り散らす理不尽なおじさんも可愛らしい、という話では決してありません。
「怒っていいんだ」ということです。
「まあまあ落ち着いて」「どっちもどっち」と横から仲裁してくるやつに怯む必要はないということです。
もしその場で言い返せなかったりしたとしても、そのことを「さっさと忘れて楽しいことでも考えよう」としなくていいんです。
なぜこの怒りを感じるに至ったのか。
いつ、何を言われたときにその怒りを感じたか。
記録しておくのは大切なこと。
でないと、人としての尊厳をどんどんどんどん踏み躙られ、やがては最悪の事態になっていく。
そうならないためにも怒ること、それを記録するのは大切なことだ。
その考えを後押ししてくれるようなzineでした。
***
zineというものの存在を、このブログを読んでくれている人のうちどのくらいの人々がご存知だろうか?
(読み方もわかりづらいよね。「ジン」と読みます)
誰かが言っていた「zineは個人で作る雑誌のこと」という説明がわかりやすくて長らくその表現を使っていたのだが、最近、よりzineとは何か定義づける良い文章に出会いました。
元町で1003という古本・新刊・リトルプレスを扱う本屋さんを営んでいらっしゃる奥村千織さんの『この紙をZINEと呼ぶときに私の思うこと」というフリーペーパーをセブンイレブンのネットプリントでプリントアウトさせていただいた時にその言葉と出会った。
そのフリーペーパーから引用します。
『ガールズ・メディア・スタディーズ』(田中東子編著 北樹出版2021)のp131によると、「有志による非営利・少部数の自主制作出版物」というのが最も簡潔なジンの定義である。
また引用します。
「大きな特徴としては
・個人的(パーソナル)かつ政治的(ポリティカル)であること
・親密性(インティマシー)と身体性(フィジカリティ=物質性)を有すること
この2点を併せ持ち、DIYカルチャーの一部として位置づけられるのがジンという媒体。」
中略
私がジンの本質を理解できた!と思ったのが、ジンは「商業主義にのっとらない、むしろ対抗するメディア。マガジンの対極にあるもの」というところだった。
その意味でもこの「怒りZINE」は紛れもなく『zine』だった。
一番初めに載っている「書店のセルフ検閲に抗議した話(げじま著)」からしてもう勇気づけられる。
職場で理不尽やおかしなことに抗議するのはとても勇気のいることだ。
でも、こうして抗議することが、少しずつ生きやすい世の中を作っていることは間違いない。
それぞれの持ち場で戦っている人がいる。
「じゃあ、私も」とすぐに行動はできなくても、
こういう文章を読むこと、心に留めること、自分の行動を10は変えられなくても1ずつ変えていくことは、
いずれ10変えるような、良い変化を起こすと信じている。
あらゆる方面から死にたくさせられるヘルジャパンで生きているみ奈さんのお守りに、ぜひ、この、怒りZINE。
ぜひリンク先に載っている取扱書店さんからお買い求めください。