noa no atamannaka

フェミニストの読書記録、映画記録、考えていること

手書きのお手紙

(多分2019にnoteで公開した記事)

手紙を書くのが好きだ。
便箋を買うのも好きだ。自分の手元には残らなくなってしまう便箋、だけど残しておきたくなるほど可愛い便箋を見つけてはついつい買ってしまう。
字は下手なのだけど、まれに私のかく字を好きだといってくださる菩薩も降臨するからいい気になってしまい書くのをやめられない。

小学2年生まで非常に神経質で、漢字の勉強中、見本の文字と少しでも違うと全部けしごむで消して一から書き直した。
神経質すぎて死んでしまうのではないかと自分でも思っていた。小学4年の時に何かが自分の中でぷっつりと切れ、クソ雑な字を書くようになり、母からも先生からも「ミミズがのたくったような字」と言われる。

でも、汚い字は汚い字でいいことがある。
例えば日記を勝手に見られたとき。汚くて容易には解読できないのだ。ざまーみろ。悪筆の勝利である。これだから汚い字はやめられない。

話が逸れた。
わたしも流石に人様に手紙を書くときは丁寧を心がけるものの、子どもが寝た一瞬の隙を見て、ヤツが起きる前に書ききらねばと焦って書くのでやはりお世辞にも上手な字にはならない。(言い訳である。)

でも憧れの人に会えたとき、普段から募る思いを上手に口で伝えられる気がしなくて、また、それをDMやLINEで送ったりして返事がないと実はかなり凹む、ということもあり手紙という方法をとっている。手紙なら返事が来なくて当然、と思えるからだ。

まれに、手紙を読んでとても嬉しかった、今まで活動を頑張ってきてよかったと思えた、とわざわざ感想を伝えてくれる神も降臨するのでありがたい。

手紙にはおべっかやお世辞は一切書かない。
こういうところが好きです、こういうところがすごいと思っていて…という本心だけ書く。

嘘偽りない気持ちを書いているのだけど、たまに恥ずかしかったり残念な気持ちになることもある。

それは手紙を渡した人との関係がうまくいかなくなってしまったとき。

わたしの行動や発言が相手の逆鱗に触れてしまい、snsをブロックされたり嫌なことを言われたりする。

そんなことが起こった瞬間は、私はなんて悪いことをしてしまったんだ…!?と軽くパニックになることもあるが、何日かかけて、友人や妹などに半泣きで話を聞いてもらい、少しずつ咀嚼していく。すると、「いや私そこまで悪くないのでは…!?相手も悪いよね!?なんか腹立ってきた!」というフェーズに入る。

そんな時、渡したあの手紙に書いた気持ち、あのときは嘘じゃなかったんだけど、なんだか恥ずかしいし、きっと今あの手紙はびりびりに破かれてしまってるんだろうなと想像してチクリと胸が痛む。

でも生きてる限り無傷ではいられないし、
死にかけの私を友人や妹や叔母が蘇生してくれるので大丈夫。

良くも悪くも形に残ってしまう手紙だけど、伝えられるのは生きている相手だけだから、好きな人には伝えられるうちにちゃんと好きと伝えようと改めて思ったのでした。

またお手紙書かせてください、わたしの好きな人たち