noa no atamannaka

フェミニストの読書記録、映画記録、考えていること

ここには書けないようなことを書いていこうと思う、

クリスマス前の日に、「ああ、なんかもう色々終わりなんだな、私は諦めないといけないんだ」と思う出来事があった。

 

そして、そこに追い討ちをかけるようなことを、クリスマスの深夜に告げられた。

元夫に。

 

前者の方から書き出すとなかなか今書きたいことまで辿り着けないと思うので、後者の方だけでも書いていこうと思う。

 

昔の記事から読んでくれている方やプロフィール(に書いてたっけ)をご覧になった方ならご存知かもしれないが、私はシングルマザーだ。

 

結婚中、ワンオペ家事と育児、毎日夜中の3時に帰ってくる元夫(夜遊びではない)が原因でうつ病を発症、しかしその後元夫は寄り添ってくれる感じもなく、このままでは常に付き纏ってくる希死観念に負けて自殺、最悪の場合子どもも巻き添えにしてしまうと思って離婚を申し出た。

割とあっさり承諾された。

いつも彼はあまり、彼自身の葛藤を話してくれない。

話されてもイラつくだけかもしれないが。

共に喜び苦しみを味わいたいと思って結婚したが、結婚してからそれぞれ別の地獄を生きていると思った。

 

私は結婚している間、子供が生まれてから、「自分でお金を稼げない」ことに強いストレスを感じていた。

 

お金を稼ぐこと、仕事にありついていること、そしてそれによってお金を得られて、好きなものを買うことができるというのは私の自信になっていた。

 

それがなくなり、家でできる仕事がないかと探しまくったし試しまくったが、やはり子供が小さすぎると、死んでしまわないか怪我しないか目が離せないし、どうにもこうにもうまくいかなかった。

どんどん自己肯定感が下がる日々だった。

部屋はどんどん汚くなる、こんな簡単なことさえできない、、、。

 

離婚する前に、「働きたい」と申し出て、保育園に預けようとしたこともあったが、片親でもなく、収入も壊滅的に低いというわけではないこの家庭では保育園に受かる気がしなかった。

 

***

 

前置きが長くなった。

そういった経緯で離婚したのだが、離婚した後は、結婚中よりも良好な関係を築けいていると感じていた。

 

何かあったら電話して話を聞いてもらったり、たまに会ってこどもと楽しい時間を過ごしていた。

 

一緒に食べるごはんが美味しいと思った。

今私は実家に世話になっているのだが、そこでは食べられないような外食ができたり、

モスバーガーが近くにない)成城石井で買った惣菜を一緒につまんで「美味しいね」と言ったり。

私は実家の親とあまりいい関係ではないので、元夫の家にお邪魔する時は、一息つける感じがあった。

また、話が通じる大人との会話ができるのも貴重だった。

離婚してもいい関係でいられることが誇りだった。

 

 

本題に入ろう。

 

クリスマスの夜、子供が寝てから体を突いて起こされた。「話がある」と。

モゴモゴいうので、「パートナーができた?」と聞いた。

すると「そうなんだよね」と。

ショックを隠すために「あーおめでとう」と言った。

すると向こうは額面通りにしか受け取らなかったのが、

「子供のことは向こうも理解してくれてて、『そういうのはちゃんとしたほうがいいと思う』って言ってくれてるんだよねー」だのと喋り出した。

 

それ自体はまあよかった。

ショックだけど。

何がショックかって、私は子供がお腹にいる時から今までも、そしてこれからも、少なくともこの先20年くらい、子供の人生を背負わなきゃいけないのに、

お前はもう新しい人生?ふざけんな。

でも、いつかはできるだろうなとは思っていた。

だから、自己防衛として「新しい相手ができることもあると思うから、その時は教えてね!家とかいかないようにするから!」とか言っていた。強がりである。

(もしくはその時のセフレと良好な関係が築けていた瞬間で気分がよかったのかもしれない)

でも、私はまだ28歳とかで、、、お前より年下で、、、、

新しいパートナーが(こんなに早く)できたと聞かされて

手放しに祝ってあげられるほど大人じゃないが????

 

しかし、極め付けに許せなかったのは次の一言だ。

 

「今向こうは一人暮らししてるんだけど、夏に更新が切れる予定で。そのタイミングで・・・。」

 

同棲をもう考えていることがわかった。

 

これが許せなかった。

 

私は養育費を十分にもらっているわけではないのに、ていうか向こうの生活が大変そうだから減額してあげていたのに、

同棲??????

そんなことを考える余裕があるなら養育費をもとに戻してください。

という交渉を今している。