noa no atamannaka

フェミニストの読書記録、映画記録、考えていること

鬱抜けしたかも?

(2020.12.22 ブログより転載)

 

 

働いて食べ物変えて鬱抜けしたかも!

 

通っていた精神科の処方箋を無視して薬を飲まずに過ごしてから1ヶ月ほどたっただろうか。

私、鬱抜けできたかもしれない。

 

薬がなくても大きな感情のアップダウンはなくなったし、

働き始めたことで「自分の力でお金が手に入る」ということ、

また、頼まれた仕事をだんだんできるようになってくると自信も少しずつ付いてきた。

実家に戻って家族と暮らしているおかげで

24時間子供と二人きりではないというのもありがたい。

離婚したので、

毎晩深夜にしか帰ってこなかったり連絡のない元夫のことを恨めしく思うこともない。

 

加工食品や砂糖がたくさん入っている食べ物や飲み物を極力避けるようになったのも理由の一つかもしれない。

夜型の生活から、朝方に切り替えられたことも大きい気がする。

 

こうやって書き出すと、

「何だ、そんなの離婚せずとも変えられるようなことばかりじゃないか」

と親戚や昔の自分なら思うかもしれないが、

生活習慣を変えるにはどうしても大きなアクションが必要だった。

少なくとも私にとっては。

 

結婚したまま私も外に出て働く、というのは何だかわがままなのではという気がしてならなかったし、

何より「自分の、働きたいという気持ちだけで子どもを預けて、もし子どもが性被害にでも遭ったら、、、」と思うとがんじがらめになって動けなかった。

保育園や一時預かりを登録するのも、実際に預けるのも、家族の協力に大変助けられた。

だからあのまま、東京でたった一人でなにもかもやるのは無理だったんだと思う。

 

日中、一緒に散歩に出かけて、急にイヤイヤ言い出しあれじゃないこれじゃないと大泣き大暴れする子どもを目の当たりにして、「これは気が狂うわ」と労ってくれた兄弟の言葉にめちゃくちゃ救われた。欲しかったのはそういう言葉と、一緒にこの苦労を目の当たりにするという経験だったのかもしれない。できれば元夫にそうして欲しかったけど、なんども試みてみたつもりだけど、結局無理だった。

元夫とは友人や恋人のようにはいられるかもしれないが、夫婦や父親としてはどうしても許せない気持ちが正直、消えない。

 

 

 

そもそもうつっぽい状態とは結構誰にでもあるものなんだよなとも思えた。

これはもちろんうつ病の人のことを軽んじるつもりで言いたいのではなくて、、、。

「憂鬱」から「鬱病」になるまでのなだらかな滑り台は確実に存在すると思う。

(もしくは、傾斜80度の滑り台なのかもしれない)

 

うつ病だと診断された時に、「働けないよ、(今のあなたでは)」と言われたのを

「私はうつ病だから今は働けないのか、、、」と思うと同時に、

「ああはたらけないんだ、じゃあしょうがないね、(何だかホッとした)、、、」

という気持ちと、

うつ病を仕事ができない言い訳に都合よく使っているのではないか、葵の御紋みたいに」という3つの気持ちが渦巻いた。

 

薬を飲んだり色々やってみて調子が良くなると、

3つ目の感情はますます大きく膨らんでいった。

「あんたもうほんとは治ってるんじゃないの。怠けたいからそんな風にいってるんじゃないの」

 

 

また働くことで、

今まで働いたけどできなかったことなど、

古傷がえぐられるのでは、

新卒の時会社で働いてた時のような苦しみを味わうのでは、

大学生の時に働いた飲食店での嫌なことを、また経験するのでは、などと思って震えていた。

初出勤の前日はかなり緊張したし、

その日初めて保育園に子供を預けるということもあって結構ナーバスになっていた。

でも、今のところ、

親切な人が結構多くて助けられている。

し、自意識過剰さがかつての自分よりすこーしマシになったのかもしれない。