noa no atamannaka

フェミニストの読書記録、映画記録、考えていること

読書「死ぬまで生きる日記」

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割と久々に本格的な鬱っぽい感じになってしまった。

原因はいくつかある。

ガザでの虐殺について、色々調べてはいるがお金や時間が足りないこと。

それについてNOの声を上げている著名人や知人が少ないこと。

バイト先の子が妙に攻撃的なこと。

かなり年下なので言いまかすのもかわいそうだということ。

バイト先のオーナーに少し不信感を抱いていること。

忙しいあまり、出費が激しくなっていること。(私の悪癖の一つ。落ち着いたと思っていたのに。)

子供のおむつがまだ取れないこと。

何回も何回もうんこの処理をさせられるのが嫌なこと。

いいかげん自分でできるようになってほしいこと。

こんなことを元夫はせずに済んでいるとということ。

子供に使うお金がちょっと多すぎること、

それを周りから異常だと思われているであろうということ。

来月の支払いが恐ろしいこと。

払える見通しがあまりないこと。

最近ものわすれがひどく、子供の荷物を忘れてしまうこと。

それによって園に迷惑をかけていること。

節約を心がけてもたいして抑えられている実感がないこと。

体調が常に少し、もしくは結構悪いこと。

頭が痛いこと。

いつもの薬が効かなくなってきたのでサプリで体質改善をすることに決めたが、そのサプリが高いこと。

あらゆることから解放されたく、死ぬことを考えてしまうこと。

住んでいるところが割と高層階なので、落ちたらきっとちゃんと死ねるだろうと四六時中考えてしまうこと。

 

 

 

最近ずっと気になって少しずつアプリで読み進めていた漫画の登場人物たちがやっと幸せそうに慣れたのは救いだった。

 

 

 

でもそうやってデジタルデバイス、特にスマホに触れているのが良くないのかもしれないと思い、紙の本を読むことにした。

そこで選んだのが、かなり前に買いはしたけど全然読めていなかった、

土門蘭さんの「死ぬまで生きる日記」だ。

 

実はこの本を買ったばかりの頃、普段はそんなことをしないのだが、なぜか一番最初に最後の方を読んだ。

この人が最終的に「救われる」のか知りたかったのかもしれない。

「大丈夫になれるものだ」というラストを知った上で、過程を安心してみたいと思ったのか、それとも「結局大丈夫になんかなれないけどそれでもいい」というものだと確かめたかったのか、今となってはわからない。

 

 

この本は土門さんが人生で初めてオンラインカウンセリングを予約するところから始まる。

初めにカウンセラーのことをなかなか信頼できていないと自覚するところから始まるのとか、ものすごく共感した。

カウンセラーだけど、私に一生物の傷を植え付ける人かもしれない、と思うのももっともだ。

 

 

本はまだ読み始めたばかりなので感想というよりは読み始めたきっかけの記録になってしまった。

読み終えたらまた感想やその時の自分の状況を書くかもしれない。

 

とにかく私は、この本を読んで、自分もオンラインカウンセリングをしてもらおうと思った。

いや、正直にいうと児童相談所に連絡したあとだった。

カウンセリングの値段に少し圧倒されてしまった。

 

告白すると、私は前から児童相談所に自ら世話になっている。

定期的に話を聞いてもらったりしている。

だが今日電話で話を聞いてもらったとき、「向こうも忙しそうだし、あまり親身になってもらえている気がしない。でもしょうがない、この人たちも精神の専門家ってわけじゃないから」と。無料でいつでも話を聞きますよと言ってくれるのは大変ありがたいので、専門家でないことにまで文句は言えない。

 

本などにはあっさり使ってしまう少しまとまったお金を惜しむことで、

気分の波で、またこの間の夜みたいに、ばけものみたいになってしまうかもしれない。なんとか予防策を打っておきたい。

 

しかし、カウンセリングは初回5500円、次回から9000円近く。

私は本当に、生きているだけでなんてお金のかかる人間なんだろう。

 

予約は早朝にしておいた。朝早くに起きるのは慣れているが、忘れないようにしないといけない。

 

私も土門さんみたいに、「とりあえずその予約した日までは生きよう」と思った。