noa no atamannaka

フェミニストの読書記録、映画記録、考えていること

健康で文化的な最低限度の生活とは

おかしい。

どう考えてもおかしい。

どう考えても、月に30万は収入がないと「健康で文化的な最低限度の暮らし」はできないとほぼ毎月思うのですが、皆さんいかがですか。

 

そもそも「最低限度」の基準が何をもって、なのかよくわからないが、あまりにも低くないか、その基準。

 

健康で文化的な・・・といえば、時間に駆り立てられることもなくゆっくり過ごす時間が1日の中にいくつもあるとか(昼寝ができるとか朝ヨガできるとか休みたいと思った時に休めるとか)、気になる本を気軽に本屋さんで(Amazonではなく!!!)買ったりとか、本屋にわざわざ赴く時間と心の余裕があることとか、推し作家の作品をお迎えするとか、映画館に映画を見に行くことができるとか、展示に行ってゆっくり作品を眺める習慣があるとかってことだと思うのですがどうでしょうか。

 

今私たちは毎日食べ物や生活費のためにあくせく働かされている。

これは断じて「健康で文化的な」生活ではない。

 

少し収入が上がったと思ったら児童扶養手当の額をドカンと削られる。

収入は上げたいが、それには結局多分10万くらいのでかい変化がないとちゃんと「増えた」感じにならない。

なぜなら児童扶養手当やら何やら、「あ、収入上がったんなら減らしますね」という気合がものすごいからだ。こういう時だけ、市役所は仕事が早い。

その逆はものすごくいつも遅いのに。

 

ものすごくお金を稼げるようになって、買う本や置き場所、支払いにいちいち頭を悩ませなくていいようになりたいと思う一方、資本主義から降りたいという気持ちが同じくらいある。

 

この二つを両立できる道をなんとか探したい。

 

 

単にお金を稼ぎたいだけなら、アフィリエイトとか、やれることはたくさんあるだろう。でも、「人を傷つけたくない」「魂は売りたくない」と思うと一気にお金を稼ぐのが難しくなる。

 

創作漫画をよくあるライブドアブログに載せたらアフィリエイト収入が入るのかもしれない。でもそれをしている人のサイトは毎回陵辱系・同意をとっていない系のエロ広告が出てきて非常に不快だ。私の漫画を先読みしにきてくれた人にそんな嫌な思いはさせたくない。

 

noteはどうか。運営に問題が大有りなので、数年前に辞めた。

そこで有料記事や投げ銭を貰えば少しは稼げるのかもしれないが、被害をリアルタイムで目の当たりにし、そのことに全く反省していない幡野とかいう写真家を擁護する運営にこれ以上稼がせたくはない。すっきりとしたデザインで、利用しやすかったのに本当に残念だ。連日投稿すると褒めてくれるシステムもやる気に繋がっていた。ああ、本当に残念だ。

 

子供のエッセイまんがを書けば、ある程度人気になれるのは確実だと思う。仕事ももらえるかもしれない。でも、子供のバウンダリーをおかしていないか。子供の身に起こった出来事を、まだ同意の観念もないような年齢から、親である私が勝手に世間に子供のことを暴露しまくってしまって、果たして本当に良いのだろうか。

そして、これに一度味をしめたら二度ともとに戻れなくなると思う。却下。

 

一度ははまったことがある人も多いかもしれない、マルチ(っぽい)商法。

金銭面や労働環境に不安を抱えていた時に出会い、あと一歩で仕事として始める、というところまで行ってしまった。でもやっぱり。「生活費にも困っているような人たちに毎月2万以上美容に払ってなんて言えない」と思い、断念。

貧すれば鈍するね。

 

 

 

私はいつも心の状態や世の中の情勢が良くなくなると、そのことについて調べるために大量の本を買ったりしてしまう。収入以上の額を買ったり、また、見かけた支援が必要そうなところにお金を出すので、基本的にいつもほんのり借金している。(少し借りて、すぐ返してみたいな。)どう考えても、手元にあるお金だけでは健康に、文化的に、人間らしく(つまり、今起こっている虐殺に目を逸らさず)生きることができない。

 

私は借金をしながら、なんとか人間としての尊厳を守ろうとしているのだと思う。

 

 

そんなこんなで結局は創作漫画を描くしかないんじゃないかという結論に行きつき、なんと1話目を描くことができた。無料公開なので絵は頑張りすぎない、状況がわかる程度のクオリティで続けるということを自分に許した。(そうじゃないと全く描けないままだったから)

インスタで公開したらなかなか評判が良かったのでここにも載せようかな。

 

この漫画が単行本になって、印税とか入るようになったら、それは一番幸せなお金持ちのなり方なんじゃないかと思ってる。