noa no atamannaka

フェミニストの読書記録、映画記録、考えていること

フェミニズム図書館を作りたい

(2022.10.22)

私にはいくつもの夢がある。

最近できた新しい夢の一つが、「フェミニズム図書館を作る」ことだ。

調べてみると、個人の図書館を作っている人は意外と結構いるらしい。
いつかはわたしにもできると思う。

***

私は普段から本をかなりの量、買う。
借りるのでなく買うことが多い。
理由としては、なかなか返しにいくのが難しく、しょっちゅう延滞してしまうからということや、図書館では私の読みたい本はおいていない場合も多いこと(特にフェミニズム関係!)、読みかけて、数ヶ月してから続きを読み進めることがしょっちゅうあること、理解するために本の端を折ったり時には線を引いたりしたいから、1回読んだだけでは到底全てを理解したとは言えず、ことあるごとに読み返したいから、などの理由がある。

本当は私の家計では、私の収入の少なさでは、こんなに本を買うべきではない。
それでも買ってしまうのはやはり買う価値があるから、読む価値があると確信しているからだし、「いつかお金持ちになったら買おう」と思っていても、いざお金持ちになったときには読む時間が全然ないと思う。
だから裕福ではなくても本を読みたいときに読みたいだけたくさん読むのは、どうしても悪いことだと思えない。

なぜフェミニズム図書館を作りたいのか。
私は裕福ではないけどなんだかんだ本を毎月何冊も買えるくらいの経済的余裕はあるという特権を持っている。
でも、もっと困窮している人がお金の使い道としてまず削るのは、本だと思う。
自分も、今よりもっとお金に余裕がなかったときに、「本を買うお金を削らないと行いけない」と思った。
それはとても辛いことだった。

最果タヒさんの「パパララレレルル」という作品の中で、マッチうりの少女をベースにした話がある。
その話の中で、お金がどんどんなくなっていき、本を買えなくなった、そのことが悲しい、というようなことが書かれているシーンがあった。
そのシーンがやけに心に刺さって、本を手に取っていない時も何度もそのシーンを思い出した。

確かに、本でお腹は満たされない。
でも、本──文章、物語、絵、写真などで構成されるもの──は心に休憩所を作ってくれると思う。
休憩所がなくても生きられる、という人もいるだろうが、休憩所がない人生は、そもそも生きている価値があるのだろうかと思うほど辛くなる。身をもってそのことを知った。

お金の余裕がない人にも、知識にアクセスする機会が豊富にあって欲しいと思う。

返却期限がなくてもいいし、もし返せそうにないならその人にあげてもいい、ただそれを転売だけはしないでほしい。みたいなルールにしたい。

その場にきた人がほっと一息つける、この空間好きだなあって場所を作りたい。

図書館に来れない人には郵送で送ることも可能、みたいなのもいいなあ。
返却のためのレターパックも同封したりして。

リクエストも受け付けて、みんなが読みたがる本は複数仕入れたり。

小さい子も入れるようにしたいな。
(私の子どもは「せかいでさいしょにズボンを履いた女の子」という絵本をかなり気に入っている。絵も可愛いし内容もとてもいいのでおすすめです)

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そこまでできるようになるにはなかなかかなりの大金持ちにならないと難しいだろうけど、何とか頑張りたいなあ。