noa no atamannaka

フェミニストの読書記録、映画記録、考えていること

資料の大切さ

(2022.8.22)

colosoというイラストやアニメーションなどの動画講座をいくつか試聴している。
初めは「こういう勉強動画見るのってダサいのでは・・・?」みたいなよくわからん羞恥心があったのだけど、私はレオナルドダヴィンチって訳でもないんだから、何か学ぼうという姿勢は何も悪くないはずだ。

この動画講座は構成がよく考えられていて、作画風景の動画も美しいので、見ていて楽しい。
永久に試聴できるのもいい。

その動画講座で「資料の大切さ」を度々語っている絵描きさんがいた。
「私が大学生の時、先生に『頼むから資料を見てくれ』と言われた。それくらい資料はとても大切」と語っていた。

資料を集めたりするのは大切だとは思っていても、なかなか面倒だなと思ってしまっていた。

しかし先日、資料の大切さを見にしみて実感したことがある。

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なにも見ずに描いたアンパンマンチョコの絵

これと、この下の絵を見比べてみてほしい。

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写真を撮って、それを参考に描いた絵

顔はちょっと怖くも見えちゃうかもと思ったものの、
アンパンマンチョコはモノを買って写真をとった甲斐がある。描いていても楽しかった。

いつか、美術の予備校に言っていた時、先生がある生徒に言っていた。
「君はもっとちゃんと見たら魅力的にかけるじゃない。
こないだだってこの質感をちゃんと追って、誠実に描いていた。
なのにこれは全然見ていないよ」。

同じ人が描いたものでも、何を意識するか、ちゃんと参考をみるか見ないかで全然違うものになる、というのをその時も目の当たりにした。

資料があると、ちゃんと「見て」描くことができる。
拙い想像だけだといつまでも真に迫る質感は描けない。

雪下まゆさんの、この動画を見ると、ほんのちょっっっ・・・とのハイライトで一気に「ホンモノっぽく」なるなと思った。
逆に、「あ、ここももう少しハイライトを」などとベタベタ付け足してしまうと、画面がのんべんだらりと締まり無くなってしまう。(よくその経験がある・・・)
その加減を知るためにも、安易に想像で描くのではなく、資料は必要だと思った。