noa no atamannaka

フェミニストの読書記録、映画記録、考えていること

私はなぜ金を使うのか

(2021.2.22)

 

明日地球が滅亡するという可能性は限りなくないはな等しくても、
明日自分や子どもが不慮の事故で当然死する可能性は普通にあると常々おもっている。

地球が滅亡しなくても、
私や子どもが死に人生が終わるならそれはつまり
地球が滅亡するのと同じようなものだ。

何がいいたいかというと、
こんなことならもっと子どもを甘やかせばよかったとか
欲しいもの買ったりいろんな展示見ればよかったとか死に際やあの世で思いたくないのである。

 

という考えが根強くある一方で、
金を使い過ぎてしまっているという負の側面も確実にあるのでそれはそれで一個一個解決していきたい、、、、。

 

 

今朝、明日で最終日のとても魅力的な展覧会の存在を知った。私だけでなく子どもも楽しめそうなものだった。

うーん今日は市役所に行って色々手続きをしないと・・・でもこんな展示次いつやるかわからない、ていうか同じものは2度とないし・・・市役所の用事が終わってからいけばいいんじゃ・・・?ちょっと行き方だけでも調べてみるか・・・お!意外と近い、これは行くしか・・・

 

といった感じで展示に行くことを決意。

母にそれを伝えたところ、

「お金のことやけどさ、あんた大丈夫なん?」と言われた。

「毎日のようになんか荷物届いているし・・・」と。

正直ぎくりである。

一番ひどい時の私から思えば断然ましだが、

それでもやはり普通の人(とは)よりは金遣い荒いぞと冷や水をかけられた気分だった。

 

しかしここは馬鹿正直に答えるのは馬鹿というもの、

「ちゃんとやりくりしてるから大丈夫」と返しておいた。

 

 

結果、展示は行って本当によかった!

子どももめちゃくちゃ楽しそうにしていたし、私もとても楽しかった。

子どもはまだ小さいから、こんなところへ連れてきてもきっと覚えていないんだろうな、という勿体無いような気持ちも感じたけれど、

ここへきたことは覚えていなくても、

こうして楽しい時間を過ごしたことはどこかで子どものポジティブな核を作ることに繋がるのでは、とも思っている。

 

 

だがしかし・・・朝から母に言われた一言が引っかかってしょうがなかった。

引っかかってしょうがないのは、自分の中で解決しきれていない問題があるからだと思う。

 

 

金をつかうこと自体は悪いことじゃない、
生きたカネの使い方というものがある、とも思っている。

多分それは間違いじゃない・・・

だから問題は他にあって、使い「すぎて」しまうというところなんだよな・・・。

使いすぎたら何が問題なのか。

貯金する予定の額がどんどん少なくなっていく。

貯金が少なくなると何が問題なのか。

数年後に引っ越す資金がなくなる。

 

解決法は二つあると思う。

1つは、使う額を減らすこと。

決めた額以上は絶対に使わない!と心に誓い子どもにも厳しくし、

絶対に予算から足を出さない。

(今の私は予算から足どころか胴体まで飛び出している)

 

2つめは、収入の額を増やすこと。

実際、4月から子どもを保育園に預けられたら、働きに出られる日数も増えるし

稼げる金額も増える。それに比例して金を使う期間も減る(はずだ)。

バイトの収入だけではなく、ストックフォトで写真やら絵で小銭を稼げたらいいなとも目論んでいる。

 

 

正直、私の性格からして①の方法は現実的じゃない。

ある程度の節約はすべきでも、あんまり財布の紐を硬く締めてしまうと、

「私なんのために生きてるんだっけ」ってなるタイプの人間だから・・・。

(展示に行ったらそりゃ限定のグッズを買いたい。→そうなるからそもそも展示には行かないでおこう→潤いがない→なぜ私は・・・?という負のスパイラル)

 

 

色々考えて思ったが、私は幸福を感じるのにわりかし金がかかるらしい。

 

たぶん欲しい本は一生無くならない。服や靴は今持ってるものでほとんどいいな、気にいってるな、とは思う。
アクセサリーもかなり買う頻度が減った。すごく吟味してから買うようになった。

それでもやっぱり予算から足が出てしまうなら、

予算を上げられるようにするのも手だな・・・・?!

 

よーーし何も解決してない気もするけど明日もバイトとストックフォト頑張るぞ・・・!